ビリー・マイヤー氏インタビュー(ミッション編)1
前回の記事で引用した「ビリー・マイヤー氏インタビュー(ミッションについて)」には、他にも興味深いものがあるので紹介したいと思います。
この一連のインタビュー記事は2003~2004年に和訳されたもので、実際にインタビューが行われた日時は不明である。
そしてミッションとは使命のことであり、創造・霊・生命の真理と地球外知的生命体の真実の普及・仲介のことである。
問1) あなたと地球外知的生命とのコンタクトは、いつ、どのように始まったのですか。それは今後どのくらい続くのですか。
ビリー・マイヤー氏
A) 地球外に住む人間とのコンタクトは、1940年代、私がまだ小さい子供のときに始まりました。
最初の会見相手はスファートという名前の老人で、彼は私が住んでいたビューラッハ村の方言、つまりむきだしのスイス訛りのドイツ語を話しました。
すべては、きれいに晴れたある夏の日の朝に始まったのです。
私は家の裏手にある大きなクルミの木のわきに父と並んで立っていました。
突然私は自分の中にある衝動を感じて、通称エッシェンモーゼル山の方を振り向きました。
そしてその先の紺碧の空に銀色の閃光を見たのです。
その閃光は教会の塔に向かって突き進みました。
それはほんの一瞬のことでした、
それから我々の頭上を越えて、およそ5キロメートル離れた森の上空に消えました。
そのときそれは巨大な丸い金属製の円盤であることがわかりました。
父にあれは何だったのかと尋ねると、あれはきっとヒトラーの最新の秘密兵器に違いないという答えが返ってきました。
私はそれを信じることはできませんでした。
それからというもの、私はいつも空を観察しました。
そして夜になると「走る星」を見ました。
それは天空高く進みましたが、飛行機ではありませんでした。
ある日、私は自分の中に衝撃を感じ、声のようなものが聞こえてきました。
それ以来、その声は私と会話するようになりましたが、ついにある日、それはヘラーゲン森にあるランゲンツィンゲンに行き、洋梨の形をした飛行物体が私を訪ねてくるから待機するよう指示しました。
そこで私はその呼びかけに従い、言われた場所に出かけていきました。
到着してから間もなく、洋梨形をした銀色の飛行装置が降りてきて着陸しました。
その中からひどく年老いた男が降りてきて、私に優しく話しかけました。
そして、自分はスファートであると名乗り、別の惑星から来たこと、私と多くのことについて語り、また私にたくさんのことを教えるなどと語りました。
それが私が地球外の人間と持った最初のコンタクトでした。
それ以来、スファートとは数多く会見しました。
それが1953年に終了すると、今度はアスケットという名前の女性が引き継ぎ、1964年まで続きました。
スファートはプレアデス/プレヤール星の出身でしたが、アスケットはDAL宇宙から来ました。
DAL宇宙は我々の銀河系宇宙の姉妹宇宙、つまり双子宇宙です。
1975年までコンタクトが途絶えましたが、1975年1月28日に再開されました。
相手はプレアデス/プレヤール系のエラという惑星から来た女性でしたが、この星は我々が知っているプレアデス星団とは関係ありません。
新しい会見相手の名前はセムヤーセで、彼女とのコンタクトは1980年代初めまで続きました。
彼女の他にも妹のプレヤ、父親のプター、それに司令官のクウェッツァルがいました。
その後、タリーダとメナラという名前の女性らが続きました。
公式会見は1995年2月3日の早朝に終わりました。
しかしそれはコンタクトが最終的に中断されたことを意味するものではなく、プレアデス/プレヤール人が地球での使命を果たしたために、公式会見を行う必要が無くなっただけです。
公式ではない人間同士の個人的なコンタクトは、私がこの世を去るときまで続けられるでしょう。
しかし、1995年2月3日までのようにそれほど頻繁ではなくなるでしょう。
ときには会見内容を記録したり、情報を提供したりすることも可能でしょう。
続く
DAL宇宙 ダル宇宙、地球が存在する物質的宇宙領域であるデルン宇宙と対になる別の宇宙であるが、同じ一つの創造の一部として存在する。アスケットの所属する人種・民族とプレアデス/プレヤール人はこの二つの宇宙を隔てる遮断帯を通り抜ける技術を持っている。