sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

乗り越えるべき壁・・・虚無主義3

人生と創造の会オリノです。

 

今回も茶番の続きです。

寛大な心でお付き合いください。

横長画面で見てください。

 

オリノ   「山田太郎が明訓高校1年の時が徳川家康で、次が土井垣という

      山田の2つ上の先輩が卒業とともに監督になりました。

      山田が3年生の時は太平という数学の教師が監督になりましたが

      この人は野球は素人でした。」

 

仮想哲学者A「素晴らしい。そう徳川家康でした。優勝請負人、名伯楽として登場

      しましたが、試合中も飲酒するような人でした。現実に存在したら

      ワイドショーを賑わせたでしょうね。」

 

オリノ   「そうですね。架空の人物だから許されますけどね。」 

 

仮想哲学者A「3人目の監督は数学の先生でしたか・・・・おっ、そうだ。」

 

オリノ   「どうしました?」

 

仮想哲学者A「数学で思い出しました。ヴィトゲンシュタインという名前を

      聞いたことありますか?20世紀前半の哲学・言語学・数学

      など多分野に功績を残した人です。」

 

オリノ   「名前だけはどこかで聞いたような・・・・銀河英雄伝説?」 

 

仮想哲学者A「たぶんそれはビッテンフェルトとオーベルシュタインが合体

      していますね。日本語で発音するとビトゲンシュタインと言って

      しまいがちですからね。」

 

オリノ   「たしかにそうだと思います。銀英伝まで守備範囲にしているとは  

      さすがです。」

 

仮想哲学者A「アニメの本編を見ただけで外伝は見てません。

      この作品は歴史や戦争史の史実をモチーフに話が展開して

      民主主義と全体主義、扇動政治家が牛耳る議会制度と

      名君が統治する専制政治ではどちらが良いのかということも

      テーマにしていますからおすすめですね。

      ただ、ラインハルトの年齢設定が若すぎですね。

      20代後半でも良いのではと思いました。」

 

オリノ   「崇高な目的を達するための手段は全て正当化できるのか?

      というのもありましたね。」

 

仮想哲学者A「銀英伝の話はここまでにしてヴィトゲンシュタインに戻ります。

      この方はとても切れっ切れっの頭脳をお持ちでしたので、注目

      されていました。それまでハッキリと線引きされていなかった

      哲学の探究範囲を明確にしようと考え、1921年【論理哲学論考

      を発表し、それ以降の哲学に大きな影響を及ぼします。

      彼はこう言いました。

 

     『語り得ぬものについては、ひとは沈黙に任せるほかない。』

 

      この一文が前回お話した形而上学にとどめをさしたと言われます。

      誤解しないで欲しいのは、彼は形而上のものを否定してはいない

      のです。しかし私たちの言語は形而下のものは語れても、形而上

      のものは語れないのだから、形而上学や倫理は無意味であり

      無駄であると言ったのです。

      だから前回あなたがした質問に答えられないのは、この人の影響

      があります。

      それ以降、哲学者の言説から神や愛という言葉が消えたのです。」

 

オリノ   「なるほど。こういわれてしまうと誰も反論できませんね。」

 

仮想哲学者A「そうなんです。この論理を否定する根拠を提示することは

      誰にもできないのです。ですから形而上学が再浮上するためには、

      神や愛や霊が存在しなければこの宇宙・世界・生命は説明しえない

      という仮説が出現し、それを証明するための実験で神や霊が計測器や

      分析器で検出されなければなりません。

      そのような未来が来るかもしれませんが、来ないかもしれません。

      どちらにせよ形而上のことは後回しにするか無いものとして研究

      に勤しむのが現代の哲学者なのです。」

 

オリノ   「でも哲学は本来、人間・世界・事物の真実・真理を理性によって

      求めようとする学問ですよね。」

           

仮想哲学者A「そうです。」           

 

オリノ   「ヴィトゲンシュタインの言ったことも理解できますが、彼は形而上学

      を否定はしていないし、それについて思考するな、とも言ってない。

      彼は彼が思案の末にたどり着いた結論を述べたのであって、普遍的

      真理を見つけたわけではありません。

      なのに形而上のもの、言い換えて霊的側面を無視・否定してしまっては、

      人間は虚無でしかありませんよ。」

           

仮想哲学者A「・・・・・・・・・・・・・・・そうです。その通りです。」

 

オリノ   「あらら、あっさり認めちゃうんですか?」

 

仮想哲学者A「もうここに及んでは是非も無し。

      私はあなたとは、ドカベンと銀英伝という共通の話題を通じて

      お友達になれるかも?などと密かに思っていましたが、勘違い

      だったようです。」

 

オリノ   「えっ、どうしたんですか?」

 

仮想哲学者A「先ほどの言葉でわかりました。

      あなたは私を試してますね?こちらの弱点、急所をつついて

      どういう反応が返ってくるかを楽しんでますね?」

 

オリノ   「そんなことを言われるのは心外ですよ。

      私だって親しみの持てる哲学者と出会えてよかったと思ってますよ。」

 

仮想哲学者A「いいえ。あなたは先ほどこう言いました。

 

      『形而上のもの、言い換えれば霊的なものを否定したならば

      人間は虚無でしかない。』

      

      意味するところはこうですね。

 

      現代に生きる多くの人が考えるように、

      あるいは考えないことですが。

      宇宙はビッグバンから始まったが、すべては偶然だとされています。

      そして人間が存在するのも偶然です。

      私が今の世界に生きているのも偶然でしかない。

      人間は脳の高度で複雑な機能により、まるで体とは別もの

      のように感じられる意識、精神、心を持っているとされています。

      その働きにより自分が存在していると思うことができます。

      そのような人間に「なぜあなたは生まれた?」と問えば、

      「偶然です。」「偶々です。」「気づいたら生きていた。」

      といった答えしかできません。

      「なぜこの時代に?」

      「なぜこのわたしに?」

      「なぜ男に、女に?」

      「なぜこの家に?」

      「なぜこの国に?」

      そういった「なぜ」に答えるには、この一言で十分です。

 

      「偶然ですよ。」 

           

      そして人間は偶然の中に生き、やがて死にます。

      それは数年から百年程度の時間であり、「人生」と呼ばれます。 

      人生の内容は偶然に生まれ持った資質や才能と、抱いた意志

      によって左右されるが、そこにも偶然が働くため人間の思い通り

      にはならないのです。

      長寿、短命、男、女、美、醜、勤勉、怠惰、金持ち、貧乏、温厚、

      短気、知的、粗野、頑強、柔弱、尊大、卑屈、正直、嘘つき・・・・

      様々な人生があります。

 

      偶然に始まる人生ですが、興味深いことに全く同じ人生はありません。

      人間の人生は無限のバリエーションがあるのですが、一人の人間が

      経験できるのはひとつだけです。

      そして死がやってくれば脳は機能を失い、意識、精神、心は

      消え去り、人間の体は分解してバラバラなただの物質に戻るのです。

           

      生きているときはどんなに、

      素敵な人でも、立派な人でも、誠実でも、権力者でも、博識でも、

      勤勉でも、馬鹿でも、犯罪者でも、怠惰でも、嫌な奴でも、独裁者でも

      いずれ死に、消滅し、無くなります。

      そしてその人間は二度と存在することはないのです。

 

      『偶然に生まれ、偶然の中で生き、死・消滅が不可避な存在。』

      『遠大な宇宙の時間の中で、ほんの一瞬しか存在できないもの』

 

      果たしてそのような存在に、存在する理由や目的が見い出せるの

      でしょうか?

      どうあがいても無理です。

      現在の哲学に人間とは何か?と問うと答えはこうなります。

 

     『虚無である。』

           

      もちろんそのままストレートに言うことは少ないです。

      実存、世界内存在、現存在 といった言葉を使っていますが、

      存在理由はひとかけらも得られないのです。

      虚無であることに変わりはないのです。

 

      あなたはこう思っているのでしょう。

 

   『近現代の哲学から湧き出た思想は、ほぼ全て虚無主義ニヒリズム)だ。』

           

      哲学に従事する者としてその言葉は、悔しいが認めざるを得ません。

      人間の存在理由もわからず、霊的側面も不明のままです。

      私もこれでいいとは思っていません。

      だがこれだけは理解してほしいです。

      哲学者が好き勝手に、無責任に、形而上の概念を使って人間の

      存在理由、人生の意義を語ってしまったら、それはもはや哲学とは

      呼べないしろもの、理性によって検閲されることのない新興宗教です。

      下手をすれば第二のオウム真理教人民寺院を生み出すかもしれません。

      それでは本末転倒です。

      私たちの仕事は、そのようなものに対して警鐘を鳴らすことです。

      人々が何らかの出来事・事件やイデオロギーによって熱病に罹った

      とき、その熱を理性の言葉で冷やすことです。

 

      それからあなたは虚無主義という言葉、文字によって誤解をしている

      かもしれませんので説明します。

      一口に虚無主義と言ってもそのなかには二種類あります。

      ひとつは本物の虚無主義、全ての価値、意味を否定し、自らを退廃

      と絶望に投げいれるものです。これこそ最も悪質で危険なものです。

      もうひとつは、全ては虚無だと知りつつも前を向き、自分を奮い立たせて

      生きる意味を自身で作れば良いとする肯定的なものです。

      後者の代表がニーチェです。彼の言葉に勇気づけられる人は多いです。

           

      あなたがこの前者、退廃的な虚無主義の概念で哲学を一括りにして

      いるなら、それは誤りです。

      私たちもそれは全ての人に有害であり、克服すべきもの、乗り越える

      べきものだと思います。

      あなたの発言から察すると、

      人間の霊的側面に関する真実を知っていると、

      ご自分では思っているのでしょう。

      そこで、あなたから見れば、未だに人間の霊的真実もわからずに

      右往左往している哲学の輩をからかうために、自分の優位を確認する

      ために、あのような質問をしたのなら、

      それは思い上がりと言うものです。

      また、あなたの信じる真実も、そのような浅はかな考えを許容してしまう

      ものなら、取るに足らないものでしょう。

      とはいえ、あなたの言うように虚無主義という壁に行き詰っているのも

      事実です。

      これをどう乗り越えるのか試されているのです。

      いつか人間の存在理由、たぶんそれはあなたの言うように人間の霊的

      真実に含まれることでしょうけれど、それが明らかになる時、今の主流

      である虚無主義は、乗り越えられ撤去されるでしょう。

            

      話が長く、一方的になってしまいました。容赦ください。」

           

オリノ   「いいえとんでもない。あなたの話は期待以上でした。」

 

????  「なかなか面白そうなお話をしてるね。」

 

仮想哲学者A「なんでお前がここにいる!?」   

           

????  「私も混ぜてくれ。」       

           

オリノ   「あれ~?あなた(仮想哲学者A)にそっくりだ。」

 

????  「あなた(オリノ)とは初めてだよね。わたしは・・・・次回に続く。」