sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

真の自己である霊と、私という人間21

人生と創造の会オリノです。

 

皆さんこんにちは。

そしてこんばんは。

 

「真の自己である霊と、私という人間」という章も21回目です。

 

何故に私という人間が存在するのか?

何故今ある境遇に生きているのか?

といった人間にとって最大かつ最も身近な問題の答えを探すということは、

本当の意味で”自分探しの旅”です。

物理的に移動する旅行ではなく、思考を使って様々な思想・哲学・宗教などを

巡る旅なのです。

そのような思考の旅は、はるか遠い昔から現在まで数えきれない人々が

してきたことです。

この旅の目的地というか訪問先は今までほぼ二つに限られてきました。

科学・哲学方面の旅か宗教・スピリチュアル方面の旅です。

どちらも大人気でしたが、旅慣れた人は其々に不満や疑問を感じ始めています。

科学・哲学方面では、

「結局はすべてが虚無ということではないか?」

宗教・スピリチュアル方面では、

「ただ信じろと言われるだけで、論理的説明がない。」

といった意見や感想を持つ方が多いです。

そんな人こそビリーマイヤー氏のコンタクト事件を再検証すべきです。

直近ニュースにもなった通り、アメリカ政府も公式にUAP(未確認空中現象)

として認めるようになりました。

宇宙人や異星人は存在すると考える人の方が多数派になっているのですから。

 

ということで今回は、皆さん私の文章にも飽きたでしょうから、

ビリーマイヤー氏の著作「心」から一部を紹介します。

 

「心」191~195P

 

創造


「創造とは、宇宙とすべての生命に対して責任を負うものである。

創造とは、人間がおよそ想像し得る最も根源的で絶大な力である。

創造とは、生命における存在と非存在である。

創造とは、およそ存在し得る最も大規模な霊的エネルギーである。

創造とは、最も純粋な形態の霊であり、その英知は計り知れない。


創造は人間が知っている、あるいは知っていると思っている最も完全
なものであるにもかかわらず、創造それ自体は留まることなく常にいっ
そうの完成に向かって発展しなければならない。

創造は留まることなく常に新しい新生霊の集塊を生み出す。

これらは人間の霊の形態において人間に「魂を吹き込む」(霊を吹き込む)。

この人間の霊は、数限りない生まれ変わりを経て不断に発展し続けて、

完成に達するという使命を果たさなければならない。

そしてこれが数限りない生命を通して起こると、霊は創造に戻り、

創造と一つになる。

それによって創造自体が一層完成され、ますます巨大になる。

 

しかし人間の霊は始めはまったく無知で開墾されていないので、

自分の中に徐々に知識と英知を蓄えて発展していかなければならない。
多くの生命を経れば経るほど、知識が増して賢くなる。

そして霊的な知議と霊的な英知のみが、人間およびその生命と意識を形作る。

それから認識できることは、ある人間の考えと行動が人間的かつ世俗的で

あればあるほど、その人間の霊と意識の発達が遅れているということである。
なぜなら世俗的かつ人間的に考えるとは、人間が霊と意識の発展の

一次的段階にあって、まだ大いに進歩を必要とすることを意味するからである。

 

一般に人類の多くは、役所や政権によって、きわめて意図的にこの段階に

引き止められている。

その理由は一つには役所や宗教自体が啓蒙されていないからであるが、

そうすることによって人間を適当に奴隷化し、抑圧できるからでもある。

この点で最も邪悪な策謀を弄するのは宗教である。

宗教は人間に自信を失わせ、狡猾な策略によって人間をだまして

仮想の神の前に誤った屈従に駆り立てる。

しかし第一に神は創造ではなく、第二に神は人間の霊的生活に対して

影響を及ぼさない。

これは従順で分別のある人間が論理に敏感に反応するなら証明され得る

ことである。

神は人間であるとは、かつてイマスエル(別名イエス・キリスト)さえ言った。

神とは、意識の点で王や皇帝の上に立つ人間に対する表現である。

神はドイツ語に正確に翻訳すれば、英知の王を意味する。

イマヌエルは当時すでにこう言った。

「神は他の誰とも変わらぬ人間である。

しかし創造は神の上に、計り知れないほど高い所に立つ。

なぜなら創造のみが計り知れない秘密だからである。」

だがこれらの言葉はどんな「聖書」にも見出せない。

執筆者によってあっさりと改ざんされて、嘘の内容が書き記されたからである。

というのは、もし真実を書いたならば、教会とその神のイメージは絶対確実に

破壊されたに違いないからだ。

しかし、同じことはキリスト教だけでなく、他の宗教にも当てはまることだ。


人間が正しく考え、知ろうと欲するならば、唯一創造のみを最大の力
として承認し、もしそうする必要があるなら、創造のみに祈るべきである。

もっとも創造はその一切の被造物に対して祈りや崇拝やそれに類する行為を

求めはしないのだが。

創造は、人間の概念では本来、神と呼ばれるべき力である。

なぜならば神は人間の意識では創造を体現するべきものだからである。


突然今後は神ではなく創造に「祈る」ことになったら、人間にとって違和感が

あるのは言うまでもない。

しかし敢えてこれを試みることを勧める。

そうすると突然、自分の祈りが変わり始め、驚くべき安らぎに包まれるという

奇妙な確認をするだろう。

この人間はまた突然自分の祈りが聞き入れられて、人生が善良で幸福な方向に

向かうことも確認する。
しかしそれは驚くには当たらない。
なぜなら創造に語りかければ、自動的に人間の中にある霊も語りかけられるからだ。

何しろ霊は創造の一部分にほかならないのだから。


創造はまことにあらゆる生命の上に立つ最も卓越したものである。

そしてそれのみが、人間から創造として敬われ、尊ばれ、承認されるのに
絶対的に値するものである。

しかし宗教が神に捧げることができるような祈祷や崇拝は、自然に反し誤りである。

このことを知りながら誤った行動をする者は、創造の法則に違反し、意識と霊の完成に

向かう発展の道、すなわち意識的、霊的な知識と創造の英知の道を遮るのである。」

 

引用終わり

 

今回紹介した「心」はいきなり読むには少し難しい本です。

コンタクト記録や宇宙の深遠よりが私のおすすめです。

本の購入はこちらでできます。

http://jp.figu.org/

 

ではまた次回に。