sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

真の自己である霊と、私という人間23

人生と創造の会オリノです。

 

皆さんこんにちは。

そしてこんばんは。

 

複数回に渡っての人格神信仰批判も今回で終わる予定です。

ですのでちょっと長くなります。

 

前回までのおさらいをしましょう。

全知全能なる神が人間を創ったのであれば、人間は神の意図・構想が

完璧に実体化された被造物・生命体です。

人間が神に背いたり、堕落して原罪を負ったりしたのは人間の責任ではなく、

製造責任者である神の責任です。

それなのに、神自身が創った人間に対して神が悲しんだり怒ったりするということは、

神にとって人間は失敗作であったということです。

つまり神は失敗したということになり、全知全能ではないことになります。

さらに、天国と地獄という差別選別システムを創り、人間に服従を要求し、

従順な者は天国に入れるが、逆らう者はナチスの収容所やシベリアでの

強制労働より遥かに過酷な罰を与えると恫喝するのです。

これのどこが全知全能なる愛の神なのでしょうか?

ヒトラースターリン毛沢東といった独裁者が可愛らしく思えてきます。

 

このように普通に考えただけでも不審な点が次々と出てくる人格神だが、

21世紀になっても多くの人が信じている。

「神が私の人生に光をもたらしてくれた。」

「神こそ希望の光です。」

といった言葉の奥底には次のような本音が隠れている。

「神よ、どうか私から死の恐怖を取り除いてください。」

「神よ、どうか私を天国に引き上げて永遠の幸福を与えてください。」

というのが本心です。

それがこの人格神を信仰する目的であり、死後の幸福のために信じるのです。

そしてこの構造は救いを説く宗教に共通するものであり、信仰の代価として

現世・死後生・来世の利益が得られるということを信じているのです。

 

そのような信者の願望を巧みに利用し、神との仲介者という名目で権威を

振りかざし、信徒から搾り取って財を成すのが教派・宗派です。

彼らにとって信者は飯のタネであり、信徒の減少は死活問題です。

だが、彼らの説明や教義は穴だらけであり、時代の移り変わりとともに、

まともに思考する者を説き伏せることが困難になってきました。

そこで彼らは、彼らの教えが継ぎはぎだらけであることを隠すために、

ある発明をしました。

それが

「神のみぞ知る。」

「神の御心は人には理解できない。」

「神は人の信仰を試すことがある。」

「神の計画は必ず成就するが、人間にはその方法や経過を理解できない。」

「神は人間の知性では理解できない。」

「神は心情を通じてしか分からない。」

「神は信じられないようなことを信じる者に恵みを与える。」

といった言葉です。

そう教えることで湧き上がる疑問や反論を封じ込めてきたのです。

このような高圧的で信じることのみを強要する教えを私はこう呼びます。

神の味噌汁(かみのみそしる)

これは「神のみぞ知る」をもじったものですが意味はこうです。
神が作ったといわれる味噌汁が目の前にあります。
しかし、どう見ても泥水にしか見えません。
そこで近くの僧侶に質問します。
本当に神が作ったのか?いつ作ったか?材料はなにか?調理法は?
自分の前に食べた人がいるか?本当に味噌汁か?と尋ねます。
すると僧侶は答えます。
「神を疑うのですか?あなたは試されているのですよ。
その昔ノアは神を信じ箱舟を造りました。
アブラハムは息子の命を捧げようとしました。
それなのにあなたは泥・・味噌汁一杯も信じて飲めないのですか?
さっさとありがたく飲んで、布施しなさい。」
ということです。
 
今回は長くなりましたが、最後にもう一つだけお付き合いください。
上の神の味噌汁の中の一つに関してです。
 
「神の計画は必ず成就するが、人間にはその方法や経過を理解できない。」
 
と言われています。
これにも徹底して反論しておかなくては終われません。
ここでいう神の計画とは人間の救済と最後の審判のことです。
それが必ず成就するとは、神が全知全能なる者だからなのですが、
その全知全能性は人間の創造の件でとっくに否定されています。
しかしそこには敢えて目を瞑り、神の計画が成就するとしましょう。
 

~神のヤラセ、マッチポンプの救い~

神の人間救済計画とは簡単に言えば人間を神側に奪還・復帰させることです。
どこから奪還するのかというと、悪魔=サタン=闇の勢力からです。
つまり神陣営と悪魔陣営の戦いに神が計画通りに勝利することです。
その様子がヨハネの黙示録として予言されていると教えられます。
戦争や災害が地上に満ち、多くの人間が犠牲になるが忠実な神の僕は
生き残り、最後に再臨のメシアが降臨して地上に神の威光と平和が
戻ってくるという話です。
光と闇の戦い、善と悪の戦いは最後には神の側、善なるものが勝利する
ことが確定しているのです。
善方、正しい方が勝つのですから喜ばしいのですが、ここで神の全知全能性が
問題になります。
神の全知全能性がこの戦いに勝利をもたらし、敗北の可能性をゼロに
したのですけれど、そもそもこの争いの原因は何なのでしょう?
今からその原因を言います。

争いの原因は神です。

神対悪魔の戦いで悪役の悪魔ですが、もともとは神に創られた天使です。
全知全能なる者が創った存在なのですから、目的通りの役目を果たすのです。
悪魔は神の敵役としての使命を実行し、人間を堕落させ、神が救済するための
お膳立てをきっちり行い、そして神に滅ぼされるのを待っています。
悪魔は自分に与えられた大役を無事果たしたことに満足しているはずです。
悪魔に限らず、この戦いに登場する存在は神を除いてすべてが被造物です。
人間も天使も堕天使も聖霊も悪霊も例外なく神が創ったのです。
ここでまた自由意志説を唱えても無駄であることは先日説明しました。
 
結論として神の計画などというものは存在しない。
あるとするならそれは神の計画という名前のヤラセ、マッチポンプの救済です。
神が全知全能ならばそれ以外の答えは無い。
またその目的も皆目見当がつかない。
自らの創造物を苦しめ、虐待する様はサイコパス神と呼ぶ方があっている。
全知全能なる宇宙と人間の創造主が被造物である人間から見ても、
サイコパスのように冷酷で、ヤラセをしてまで人間からの崇拝を求めるとは
支離滅裂も甚だしい。
反対に、もし本当に神が本気で悪魔と戦っているなら、それは神にも想定外が
あるということで、全知全能性が否定され全知全能なる神は虚構となる。
以上のことから最終的に全知全能なる人格神の存在は否定され、
人間の創作物という結論に達する。
 
人間が神に見ていた光・善・愛・英知・永遠・平和・荘厳・畏敬、そして全知全能、
それらは神から発していたのではなく、神より遥かな高みに在る「創造」より
流れ出たのであり、人間はそれを感受することで自らの発達・進化の方向
を知るのです。
 
ではまた次回に