sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

真の自己である霊と、私という人間20

人生と創造の会オリノです。

 

皆さんどうも。

4連休いかがお過ごしでしょうか。

私は自宅で読書したりYOUTUBE見たりしながらまったりしています。

 

では早速続きをしていきましょう。

今回はきちんと最後まで行く予定です。

いつもより長いですよ。

 

まずはっきりさせることは、ここでいう「神」とはユダヤ教キリスト教イスラム

の神格のことです。

天地創造の神、唯一神、人格神、三位一体の神、全知全能なる神、裁きの神、

ヤーウェ、エホバ、アッラーとか呼ばれる神のことです。

そしてこの神が人間を創りました。

ところが人間は神の意に背いて罪を犯し、神による救済が必要になったと

聖書は教えています。

 

しかし、その存在を信じることはできても論理的には存在しません。

簡単な論理さえ分かれば、とても信じてみようとも思えない代物なのです。

では説明です。

 

【神の不在証明】

 

(前提条件)

神は全知・全能・完全な人格神であるならば。

 

 

神が人間を創ったとはどういうことか?

 

➡全知・全能・完全な神が創ったのだから、人間は神の意図・目的を完璧に

反映した被造物である。

 

[解説]

「人間は神のように全知全能でもなければ完全でもありません。

むしろ人間は物理的・物質的に制約・制限を受けた存在です。

無知であり、欲望に弱く、過ちを犯し、悪に染まります。

肉体も負傷したり病気になったりします。

神のように永遠ではなく寿命があります。

神は完全ですが、人間は不完全です。

しかし神の視点から人間を見るなら、人間は完璧です。

全知・全能・完全な神が創ったのだから、人間は神の意図・目的を完璧に

反映した被造物です。

神の描いた設計図と寸毫の狂いもなく完璧に出来上がっています。

全知・全能・完全な神に間違いや手違い、失敗の類は無いのだから

必然の結果です。」

解説終わり

 

ところが聖書によると、神は不条理な反応をします。

最初に創られた人間であるアダムとエバが蛇(悪魔・サタン)に惑わされ、

神が食べることを禁じた木の実を食べたことから人間の罪と堕落が始まったと

書いてあります。(諸説あり)

神はこの事態を悲しんだとありますが、しっかりと二人をエデンの園から追放し、

安楽な日常を送っていた二人に自給自足の厳しい生活を余儀なくさせるという

罰も与えています。

それから多くの年月が過ぎると、人間は繁殖し人口が増えたのだが、その分

地上には堕落した人間の悪が広がってしまった。

すると神は人間を創ったことを後悔し、人間を全滅させるために大洪水を

起こすことにするが、神に忠実なノアの一家だけは生かされたのだ。

ノアの一家からまた人間の歴史が始まり、世界中に広がっていくことになった。

 

人間の創造からノアの大洪水までのざっくりとした流れはこんな感じです。

私はこの創世記の逸話に触れた時から何かしっくりこない感じ、わずかな

違和感を感じていたのだが、それが何かは説明できないもどかしさが

ずっとあった。

それが何であるか分かったのは最近のことです。

「霊の教え」が大きな助けとなったのは確かです。

 

~矛盾と不条理の絶対神

もう今となっては創世記もただの古い作り話としか思えません。
まともに思考できる人間がわざわざ思考を停止して熱心に信じるような
ものではないのです。
昔の人間が理解できないことを空想で埋めることでできた創作として
読む分にはいいですが、それを真実だと言い張るのはナンセンスです。
ましてや自分の子供だというだけで自我の目覚める前に特定の信仰に
巻き込むことは親の傲慢でしょう。
 
さて、エデンの園から人間を追放するくだりで、神は人間に対し失望を含んだ
悲しみのような感情を表します。
そして人間をそそのかした蛇(悪魔・サタン)には怒りの感情と復讐めいた
言葉を発しています。
さあ、ここで一旦心のストップボタンを押して物語中の神や人間に
感情移入するのを止めて落ち着きましょう。
 
次に上の方にある[解説]をもう一度書きます。
 

「人間は神のように全知全能でもなければ完全でもありません。

むしろ人間は物理的・物質的に制約・制限を受けた存在です。

無知であり、欲望に弱く、過ちを犯し、悪に染まります。

肉体も負傷したり病気になったりします。

神のように永遠ではなく寿命があります。

神は完全ですが、人間は不完全です。

しかし神の視点から人間を見るなら、人間は完璧です。

全知・全能・完全な神が創ったのだから、人間は神の意図・目的を完璧に

反映した被造物です。

神の描いた設計図と寸毫の狂いもなく完璧に出来上がっています。

全知・全能・完全な神に間違いや手違い、失敗の類は無いのだから

必然の結果です。」

 

人間が無知なために悪魔にそそのかされるのも、神との約束を守れないのも、

原因は人間の側ではなく、人間をそのようなものとして創造した神にあります。

何より悪質なのは蛇(悪魔・サタン)も神が創ったことを棚に上げているのです。

つまり神は自分で創ったものに悲しんだり怒ったりしているのです。

馬鹿げた独り相撲、訳わからないヒステリーとしか言いようがありません。

全知・全能・完全なる神、絶対に正しい御方が思い通りにならないことを怒り

悲しむってどういうことですか?

これこそ「神」が全知・全能・完全とは程遠いものである証拠であり、

人間の未熟な思考と空想の産物である証明です。

そしてこの論理に対して、神を正当化するために「自由意志説」を主張する

者もいますが、それこそ恥の上塗りというものです。

その苦し紛れの言い逃れはどのようなものかというと、

「神は人間(と悪魔)に自由意志を与えたが、それを誤って行使したため人間は

罪を追う羽目になった。責任は過ちを犯した人間にあり、神は被害者である。」

という馬鹿げた主張です。

そもそも自由意志をデフォルトで装備させておきながら、想定外の使われ方を

したから遺憾だ、心外だ、と思慮の足りない人間のようなことを言うのです。

全知・全能・完全なる神が人間の自由意志の機能がどこまで及ぶかを

理解していないとはどういうことか?

それこそ神の無知無能っぷりを白日にさらすようなものである。

全知・全能・完全なる神が人間の行為によって傷つくとはコントでしかない。

東京03あたりがやったら大笑いしそうだ。

 

そして何よりこの神格の傲慢で鼻持ちならない点がある。

それは”救いの神、愛の神”を自称するところです。

人間を創っておきながら、その中の一部、神の下僕・奴隷として
犬のように忠実なものは天国へ招き入れるが、そうでない者は容赦なく
地獄の業火に投げ入れるというサイコパス的な人格神であるところです。
もうここまでくると一体何を目的に人間を創ったのか意味不明となる。
もし本当に天国と地獄という差別選別システムがあるのなら、
このサイコパス神は地獄で責め苦を永遠に受けるための人間を
わざわざ創り出していることになる。
どうみても死後地獄行き当確の人間を創り、誕生させ、生存中は
多くの不幸や悲劇を地上に発生させ、死んだら地獄で永遠の罰を
与える神、それのどこが愛なのだろうか?
それをどう勘違いすれば全知・全能・完全なる神と思えるのだろうか?
 
結論
神、宗教の人格神は存在しない。
必然的にそのような神格を崇拝する宗教も虚構である。
神は人間の考えだした空想的存在であるか、
真の造物主である「創造」を騙った人間的生命体である。
神の存在証明を導き出した宗教者・哲学者が存在したが、
彼らが出したのは「創造」の存在証明である。
 
それではまた次回に。