sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観6

人生と創造の会オリノです。

 

続きをどうぞ。

 

霊は、肉眼から光が失われても生きていくことができます。

耳がなくても、腕や足がなくても、それどころか外的な物質的意識の

皮相な理解力がなくても生きていけます。

霊に生き続ける能力を与えるもの、すなわち霊自身の創造的な力が

いつも存在するからです。

この固有の意識は、すべてを観察し記録する人間内部の霊的な意識で

あり、自分の思考と感情を観察し、すべての思考を密かに援助し、

彼が知的か無知かを人間に告げます。

すなわち、それは創造なるもの、つまり霊的な意識です。

霊が全知全能遍在であり、さらに限りない幸福、限りない美、限りない価値、

すなわちおよそすべての事物の価値であるということを繰り返し熟慮するならば、

創造という言葉は人間にとって絶対的な意味を持つようになり、

彼の中に進化に基づく変化をもたらします。

こうして彼の中に霊と創造という言葉がたびたび刻み込まれると、

彼の中に、物質的意識にとって重大な意味を持つ心理的変化をもたらします。

つまり彼の感情とすべての感覚が変わるのです。

それのよって意識的知性が澄み渡るほどに、彼の人格はその力を増し、

その人生も祝福されたものとなるのです。

意識に満ちた賢者ともなると、遠い未来、場合によっては何十億年も後の

出来事を予見し、生物や人類の一切の過去を目の当たりにすることができます。

賢者にはこのように絶大な知識が与えられているのです。

でも、どうしてそんなことが可能なのでしょうか?

このような人間には自己の内部、すなわち霊の中に、そのために必要な

前提条件が備わっているのです。

まぶたを閉じていても光を知覚できるように、すべての人間の中に創造の存在

すなわち霊の王国がありますが、それが見えるのは内的な目によって

自分の内部を見る能力を備えている者だけです。

この王国はすべての必要な前提条件を備えている者だけに

有益であり得るのです。

すべての人間は自分の中に霊の王国を宿していますが、

それは活用されない物質的意識によって覆い隠され、

あらゆる種類の無知や錯誤、不完全な邪悪、過失や制約によって、

抑えられているのです。

真理を認識し受け入れることによって、これらの害悪を正反対のものへと

転じなければなりません。

これらすべての弊害は、負の方向に堕落したすべてのものに対抗して

中立的な平衡へと導く能力を意識的に発展させることによって取り除き、

また解明されなければなりません。

意識を展開させて、真理を意識的に探索し、真理に関する知識を積み上げる

ことによって霊的経験の過程が加速されます。

そしてこのような展開は、創造は万物の中に遍在するという認識に基づき、

すべてを包括して宇宙全体に広がる真の英知と愛へと導かれるのです。

人間は創造、真理、英知と愛、そして霊の王国におけるすべてのものと

一体です。

人間は空間と時間と肉体によってそうした真理と英知から隔てられていますが、

それは内的経験によって乗り越えられます。

英知と愛は一体となり、知識と真理は一体となり、意識と霊の英知と愛は

経験を通して統一されて、創造そのもの、そして宇宙全体の喜びと力と

完全性へと導かれます。

人間は創造的なるものを知らないため、誤った教え、すなわち意識を

隷属させる教派や宗教に惑わされているので、非常に多くの過ちを犯し、

間違った場所に真の宝を探そうとして、自然と創造のあらゆる秩序や

法則のすべての規則を破るのです。

そのような人間は人間社会の法律をいかに厳密に守ろうとも、

宇宙における創造的なるもののあらゆる法則と規則および秩序を

破り続け、人間的で物質的な苦しみや不安、問題、恐怖、誤った教え、

誤った指導、弱さ、不幸、霊的および意識的な無知、意識的な隷属

および制約に囚われるのです。

現実から遊離した教派や宗教、人間的な無知のために、

まさに最も価値あるものを把握できないのです。

このような無知と誤った道に導く宗教や教派その他の誤った教えが、

すべての価値あるものの源泉、生命の中の生命、あらゆる知性の光、

すなわち霊と創造を、人間の目から覆い隠しているのです。

だから人間よ、日常生活とその経験の全領域を創造的なるものと

考えなさい。

いつでも、どこでも、あらゆる事物の中に自分自身を見出しなさい。

自分自身が万物となって、万物の中に創造的なるものを呼び覚まし、

それを認識し経験しなさい。

なぜなら創造は万物の中にあり、万物は創造の霊によって生かされ

ているからです。

そのため万物は万物において一つなのです。

 

続く