エホバの後継者8 キリスト教と創造
太古の地球に地球外の人間集団が飛来した時、頭目の男が無知な地球人に
宣言した。
「全能で偉大なる創造とは私のことである、私は神であり、アルファでありオメガである。」
「私を愛し、畏れ、賛美せよ。私以外に神は無い。」
時がたち、この男の逸話・伝承は宗教となり、天国と永遠の命欲しさに十数億の
人間が信仰している。
しかし、人格神・聖書の神の正体は偉大なる創造と高慢な人間との混合物であり、
架空のもの、何より創造の全能・完全性・真実を貶めるものである。
そのような粗悪な創造の偽造物に一体どんな力・価値・真実があるというのか。
永遠の創造と、支配欲に憑りつかれた人間の区別が出来ないために、
偉大なる創造が見えず、自己の本質が創造に由来する霊であることが
分からなくなっている。
自己の本質が創造に由来する霊であるということは、それ自体が永遠の命で
あることも分からないでいる。
そしてこの役立たずの神を信仰する者は、自身がその神の中に見る愛・永遠性・
全能といったまばゆい光が、神よりはるか高くにある創造の光であることを知らず、
神がその光を遮り、隠蔽するものであることを知らない。
だから居もしない人格神の機嫌を取り、平伏して
「天国に入れてください、永遠の命をください。」
と卑屈に懇願することになる。
彼らは正しい人生を生きたいというが、その真意はただひたすら地獄の業火の
恐ろしさから遠ざかりたい、逃れたいという臆病・小心である。
しかし自分が神に選ばれ、天国の特権を得たなら、彼らは何十億人が地獄で
焼かれても平気である。
むしろ神の御心と計画が成就したのだと歓喜するだろう。
では逆に、自身の信仰こそ正しいと信じていたが、実はそれが誤りだったと気づいた時、つまり自分が地獄行きになるとき、その者は天国に行くだろう者を祝福するだろうか。
しないだろう。
最初は懸命に言い訳や正当化をして判決を覆そうとするが、それが不可能と分かると、
その瞬間に神のしもべは悪魔もたじろぐほど陰険になって、救われる者を呪い、
悪罵を浴びせ、なんとか地獄の道連れにしようとし、出来れば全てを滅ぼそうとするだろう。
残念だが彼らにはそのような想像をする勇気も理性もない。
疑念を少しでも抱いたことが、神に知られたら大変だからだ。
果たして全知全能で完全なるものとは何なのか。
人格神・聖書の神にそれを名乗る資格はない。
それらは外宇宙から来た人間の伝承か、エホバを名乗った者の後継者たちが
地球人を支配するためにでっち上げたまがい物である。
創造だけが全知全能で完全である。
そして創造の微小な霊が人間の本質であり、人間を存在させている。
霊は人間の生命・意識を可能にし、永遠に存在する。
霊は創造だからだ。
次回 アセンションとアシュタール・シェランの顛末