sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観8

人生と創造の会オリノです。

 

読んでいただきありがとうございます。

今回は会見記ではなく私が書きます。

 

特定の宗教では人間は(不完全な、堕落した、不正常な)状態に

陥っていると教えられます。

そのような状態の人間を(完全な、本来の、正常な)状態に戻すことを、

”救済”と言います。

そして人間を救済できるのは神だけ、もしくは並外れた信仰心や苦行が

必要だと信じられています。

そのような宗教を熱心に信仰する人が大勢います。

残念なことに、それはいかに多くの人間が理性と思考を放棄し、

馬鹿げたことを盲信し、思い上がっていることを示しています。

全能なる絶対者が被造物を救済する”ということが、

ひどい欺瞞と矛盾であり、論理的に破綻していることは明確です。

理性的に思考する者には見抜けるものなのですが、

そのことをほとんどの人は考えたことがありません。

もしあなたがこのことに取り組み、影響を排除し、無力化する時、

救済宗教の非論理性と同時に虚無的人間観をも乗り越える

ことになります。

そこから創造の一部が霊として、あなたの核心として存在し続け、

これからも存在し続けることが理解されるようになるでしょう。

今までは”神という分厚い雲”が創造から降り注ぐ真理の光を遮り、

その分厚い雲を通して地上を照らす弱い光が”神の威光”だと、

思い込まされてきました。

しかしそのような時代は終わりを迎えます。

創造と霊の真理、霊の教えこそ現代の人間に必要なものです。

地球上のいかなる教義、思想、哲学も、

霊の教えのもつ太陽のような明るさに比べれば、

星明りのようなものです。

しかしこれは真理であるゆえに、受容できる進歩段階に到達した者にとって

何ものにも代えがたい宝”なのですが、

そうでない物質的・経済的価値観しか持ち合わせていない者には

与太話でしかありません。

たとえそうであっても人間の霊と意識は無数といってよいほどの

人生を通して進化するのであり、今は創造と霊の真理、霊の教えを

理解できない者も、やがて時が来ればこの真理に魅了される人生に

至ることになるのです。

ですから、この真理を理解した者は、後に続く人々の間違いや過ちを指摘し、

ときには強い言葉で非難するように見えますが、

決してそれらの人の存在自体を非難したり、否定したりすることはありません。

ましてや物理的暴力によって排除することも、ごくわずかな例外を除いて

無いのです。(完全に正当防衛成立時)

なぜなら真理を知る者は、自分もそのような段階、真理の受容に至らない

人生を経験してきたことを知っているからです。

数々の過ち、失敗、間違いを犯した人生を生き、そのことを通じて進歩して

きたことを知っているのです。

そして自分もさらに進んだ存在から見れば、まだ真理の扉を開けたばかり

の後に続く者であり、未熟者であることを認識しているのです。

つまり人間であるなら全ての人は偉大なる創造の一部、霊であり、

永遠の命を持つ存在であり、自分と同じ創造の一部なのです。

人間は見た目からは霊の進化程度はわかりません。

それは霊と同じ目に見えない部分に表れます。

人格、意識、知性、性格、心理といったものですが、

だからといってあなたの受けた印象によって他人の霊的な進歩度合いを

判断してはいけません。

地球上に生きる段階の人間は、そのようなことが判別できるほど進んでいません。

自分の頭の上のハエも追えない人間ばかりなのですから、

自分もその一人と謙虚に考えた方が賢明です。

とかく地球人は外見的、肉体的、経済的なものごとを他者と競争、

比較することを好み、優越感と自己承認欲求を満たすことに耽っています。

それは私たちの多くが、いまだ創造と霊の真理を知らず、

自分の存在理由、人生の意味を知らないために、そうするしかないのです。

自分の核心が霊的実存在であることを理解できないために、

利己的な物質的・経済的価値観とそれに基づく人生観に呪縛されています。

そのような価値観・人生観にどっぷりと浸かってるので、それらを手放すのが

恐ろしく感じるのです。

まるで温かい風呂から冷たい風の吹く屋外に出されるように感じるのです。

それらが無くなったら自分の存在が宙ぶらりんになり、人生が空虚で

無意味なものになりそうで怖いのです。

欲求や欲望に執着していれば生きている実感があるが、それが無くなったら

生きているか死んでいるか分からなくなりそうで不安なのです。

その根底にあるのは快楽と生存への執着であり、死と消滅の恐怖です。

もちろんそれらを悪だと言っているのではない。

人生を全うするためにそれらは必要であり、無くすこと自体が不可能だ。

だが過剰に執着するとそれらは重し、足枷となり、あなたの自由を奪い

必要以上に疲弊させることは避けられない。

そうなるとあなたは人生の本来の意味を見失い、人生は苦労と不自由の日

でしかなくなってしまうだろう。

ましてや人間が肉体だけの存在であり、百年もたたずに消え失せるものと

思っていては本当に救いがない。

このような救いようのない状態から私たちを連れだしてくれるものは

何があるだろうか?

それは宗教の説く偽りの救いではない。

それは古びた思想でもない。

私たちが人類の存続と人間の進歩を実現していくための基盤となりうる

真実であり、理念です。

私たちに自己の存在理由を明確に論理的に説明する根拠・真理です。

創造と霊の真理、霊の教え以上の説明は現在の地球上に存在しません。

あなたが本当に真実を知りたいのなら創造と霊の真理、霊の教えを

推奨します。

それが本当に価値ある真実を説いているのなら、

自然とあなたの中に内的確信が湧きおこるはずです。

そして以前より自由になった自分に気づくことになります。

ただしそれは創造を信仰することではありません。

自分の核心、正体が、偉大なる創造と同じ霊であるという認識に

至ることです。

自分という人間を創り出し、生命を与えたのは霊です。

霊が今回の人生を計画し、この人生を生き、経験し、学ぶことに

最も適した意識と人格を創りました。

それがあなたなのです。

あなたを通して霊はすべてを見ているばかりか、人生のすべてを

記録し続けているのです。

 

 

 

次回は引き続き第10回会見を続けます。