sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

乗り越えるべき壁・・・「救い」という毒

人生と創造の会オリノです。

 

続きです。

スマホの方は横長画面で見てください。

 

仮想宗教者B「あなたはまるで聖ヨハネの言う反キリストの信奉者のようだ。

      悪魔の手先のように詭弁を用いて神を愚弄し、聖書を否定する。

      その口ぶりだと我らが救い主であるイエス様をも否定するつもりか?!」

 

オリノ   「なるほど、ではもう一度いいましょう。

      あなたがたの言っていることこそ偉大なる創造主を冒涜するものです。

             

      全知全能なる存在と高慢な権勢欲の権化を同一のものとするばかりか、

      自ら進んでこの”なりすまし”の奴隷となり、賛美し、畏れています。

      あなたがたが愛しているのは、全能なる創造主ではなく、

      そこから湧き出る真理でも、崇高でも、正義でも、愛でも、

      英知でもありません。

      あなたに都合のいい救いです。

      あなたを救ってくれる権力です。

      あなたが救われる、救われたと言ってくれる人と言葉です。

      あなたを恍惚とさせる天国のファンタジーです。

      あなたは神に選ばれたという密かな優越感です。

                     あなたは自分が謙虚な神の僕だと思っていますが、

      救われたいからそうしているだけです。

      あなたは救いと神への依存症に陥っています。

      ひとつ質問させてください。

      あなたはご自分が救われると確信していますか?」

 

仮想宗教者B「私はそうあって欲しいと思っています。

      しかしそれを決めるのは神様です。」

 

オリノ   「ということは本音はこうですね。

      自分が救われることを確信しているが、自分からそう言うのは

      不遜だと。」

             

仮想宗教者B「いいえ。すべては御心のままにということです。」

 

オリノ   「では間違った信仰、救われない信仰、しても無駄な信仰は

      ありますか?」

 

仮想宗教者B「それも私が判断することではありません。

      すべては神が裁かれることです。」

 

オリノ   「それは変ですね。

      三位一体の神と、イエスの十字架上の死と贖罪と復活を信じれば

      救われると言っていましたよね?」

 

仮想宗教者B「そうです。聖書を読み解くならばそうならざるを得ません。」

 

オリノ   「ではムスリムイスラム教徒)は間違っていますね?

      クルアーンではイエスは救い主ではなく預言者だと書いて

      あるのですから。」

 

仮想宗教者B「イスラム教については何も言えません。

      私はクリスチャンです。

      彼らにどのような裁きが下るかは神が決めることです。」

 

オリノ   「では、私もそこに含まれるのでしょうが、

      裁かれて地獄に落とされる人をどう思いますか?」

 

仮想宗教者B「とても残念に思います。

      神は人を愛し、救うために主イエスを地上にお遣わしになったのです。

      それは、全ての人に救いと永遠の命を得る機会を与えたいという、

      神の愛と慈悲です。

      しかし、多くの人がこの感謝すべき慈悲と御心に無関心であったり、

      嘲笑ったり、踏みにじっているのは悲しむべきことです。

      人は堕落したために死は必ずやってきます。

      そして神の裁きを受けるのです。

      神は悔い改める機会を与えました。

      その機会を無駄にした者は神の正義によって裁かれます。

      ことここに至っては、何の弁解も通用しません。

      地獄に落とされる者は、自ら蒔いた悪の種を刈り取ることに

      なるのです。

      そのように裁かれるのは、その者の責任です。

      その者が神を軽んずる愚か者だからです。

      邪神、偶像を拝む者だからです。

      神の義に反した悪しき者だからです。」

 

オリノ   「ありがとうございます。

      ということは、あなたはイエスの言葉に同意しないと

      いうのですね?」

 

仮想宗教者B「えっ・・・私を侮辱するのですか!(怒)

      いつ私がそのようなことを言いました!?」

 

オリノ   「まあまあ落ち着いて(笑)。

      汝の隣人を愛せ。汝の敵を愛せ。

      ということですよ。」

 

仮想宗教者B「何を言うかと思えば当たり前なことではないか!

      もちろん主イエスのように完璧にはいかないが、

      それでも私は心掛けている。

      いつでも神の前に立てるようにだ。」

 

オリノ   「いつ神の前に立つことになってもいいようにですね?」

 

仮想宗教者B「そうです。」

 

オリノ   「このように言うのは揚げ足取りに思われるかもしれません。

      今あなたが言ったことを言い換えるとこうなります。

 

       救われるために隣人を愛するのだ。

       神に裁かれないために敵を愛するのだ。

             

       何か変ですよね。

       イエスはそのような意味で言ったのでしょうか?

       まず隣人とは何を意味するのでしょうか?

       あなたの隣人となる可能性がある人なのですから、

       同じ時代、同じ世界に生きる人すべてが対象になります。

       キリスト教の救いの論理で言えば、天国に行く人だけでなく

       地獄に落とされる人も隣人です。

             

       自分が救われると信じると、自分と違う信仰・信条を持つ人は

       天国に迎え入れてもらえない可哀そうな人、残念な人です。

       真実を知らない、知ろうともしない無知な人です。

       神を知らない、知ろうともしない、

       間違ったものを拝む愚かな人です。

       自分は正しいが隣人は正しくないと信じるのです。

       そして自分の信仰を深めていくと独善に陥るのです。

 

       果たしてそれがイエスのいう隣人愛でしょうか?

       表面的に友好的であっても、心の奥では隣人を見下しています。

       私は救われるが、隣人が救われないのは自業自得だ。

       私が救われるのは神の恵みであり、私はそれに値するからだ。

       私は本当の神と救いの道を見つけた。

       しかし哀れな隣人たちは邪教に耽る愚かな人々だ。

       人の世ではちっぽけな私が、天国では大きな者なのだ。

       キリスト教に限らず、救いを説く宗教の信仰者ならば必ず

       そのような気持ち、考えを持つのです。

       そしてその甘美な毒に中毒し、依存し、幻覚を見、

       狂気に陥るのです。

       外見は謙虚で控えめにしていても内心はそうなのです。

       彼らは世界を救いたいとは思わない。

       平和にしたい。良くしたいとも思っていない。

       彼らが自分たちの救いと引き換えに世界を平和にしてほしいと

       神に祈ることは絶対にない。

       彼らは自分が救われたいだけなのだから。

       戦争が起きても、大災害が発生しても、人が何人死んでも、

       究極的にはどうでも良いのです。

       最終的に世界は終わるのだから、早くそれが来てくれた方が

       ありがたいのです。

       自分が救われ、天国で永遠の命を得て幸福が永続するなら、

       自分以外のすべての人が地獄で焼かれても問題ないのです。

 

       自分が救われたいと強く思うとき、人は狂信的になり、

       独善的になり、盲目になるのです。

       救いを求めれば求めるほど、人間愛を説くべきものが

       人間を呪縛し支配する道具に、カルト宗教へと成り下がるのです。

             

次回に続く