sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

乗り越えるべき壁・・・カルト宗教・救済教義・盲目的信仰13

人生と創造の会オリノです。

 

続きをどうぞ。

スマホの方は画面を横長でお願いします。

 

オリノ    「さて、信仰者であるBさんにとっては受け容れることの出来ないこと

       だというのは充分承知していますが、私もここで自説を引っ込める

       わけにはいきません。

            

       今一度、この宇宙、巨大な2000億の銀河、その中に有る無数の

       恒星と惑星、そして極小の量子・クオーク素粒子までのすべてを

       創造し、調和させ、秩序系統立てる諸法則・原理を定めた

       創造主・宇宙意識・絶対者・大いなるすべてと呼ばれる者に

       戻りましょう。

       人間の知性・能力では到底その全貌は認識できない宇宙意識です。

       ゆえにこの宇宙意識は全知全能・完全・永遠・遍在・無謬という

       評価に値するのです。

       仮にそのような例えができるならですが、

       人間の身体をこの宇宙意識の物質的部分、つまり宇宙としたとき、

       地球は何に相当するでしょうか?

       ひとつの細胞でしょうか?

       細胞核ぐらいでしょうか?

       いえいえそんな大きなものじゃないでしょう。

       原子でしょうか?

       それを周回する電子程度でしょうか?

       下手するとニュートリノくらいでしょうか。

       その表面にうごめく有象無象が私たちなのです。

       それくらいのスケールの違いがあります。

       創造主にとって人間は、例えれば人間にとってのニュートリノよりも

       遥かに小さな存在だと言えます。

           

       ではこのちっぽけな存在は、どうして存在しているのか?

       もちろん創造主が創ったのです。

       ではどのように創ったのか?

       あまりに小さいので適当に創ったのでしょうか?

       いいえ。

       創造主は全知全能・完全・永遠・遍在・無謬です。

       人間も、最高の知性と最大の力を持つ誤ることなき完全な者の創造物

       ということです。

       全能なる者の創造物に欠陥や不良品が紛れ込む可能性は

       あるでしょうか?

       あり得るというのなら創造主は不完全になります。

       それは創造主自体が存在しないことになります。

       ですから人間として存在するなら、その人間は創造主の構想通り、

       創造主の意図・目的・計画に合致した役割を担う存在・被造物です。

 

       では、人間を含めた被造物が創造主の意図・計画から逸脱することは

       可能でしょうか?

       人間の自由意志が創造主の構想・理念を突き破ることが

       可能でしょうか?

       れが可能だと言うなら、創造主は不完全になります。

       そのような中途半端な創造者が創った宇宙は、あちこちで破綻が生じ、

       あっという間に消えてなくなるはずです。

 

       何度も繰り返しますが、

       この宇宙を創造するということは、文字通り、

       全知全能・完全・永遠・遍在・無謬な者にしかできないことです。

       そのことを私たちはあまりにも軽く考えています。

       この偉業を人間は現実味が無いために過小評価しています。

       ですが宇宙の壮大さと見事なまでの調和を見る者は、その背後に、

       この全能者が存在し、宇宙全体を維持し、動かし続けていることに

       気づくはずです。

 

       この宇宙を創出し動かし続ける全能者は、聖書の神として知られる

       人格神と同一のものとされてきました。

       しかしこの二者を同じものとするとき、強い違和感を覚えるのです。

       全能の創造主と聖書の人格神はまったく似ていません。

       それでもキリスト教は、両者が同じものだと強弁するために、

       苦しい弁解をするしかないのです。

       ただ信じるのならそれでも良いのです。

       辻褄の合わないものでも、非論理でも、スパゲティーモンスターでも、

       信じるのは自由です。

       私がそれを止めることは出来ません。

 

       では事実・真実はどうなのだろうか?と問われれば、

       あくまでも私が到達した結論だと前置きして、こう言うだけです。

            

       でははっきりと明確に述べます。

 

       完全なる創造主と、聖書の人格神は別物である。

            

       間違って解釈されないためにもっと明確に言います。

 

       聖書の神は創造主を詐称した人間的存在である。

            

                          最近ではこのように考える人も多いはずです。

       では前回言ったことと合体させましょう。

 

  聖書の神は創造主を詐称した人間的存在である。

  聖書の人格神と創造主を同一だとするなら、

 それは創造主を曲解し、矮小化し、冒涜するものだ。』

            

 次回に続く