乗り越えるべき壁・・・カルト宗教・救済教義・盲目的信仰5
人生と創造の会オリノです。
辛抱強く駄文にお付き合いいただき有難うございます。
何度もしつこく「虚無」という言葉を繰り返しています。
くどいと思われるでしょうが、とても重要だからです。
人間と宇宙が虚無であるなら、あるいは虚無という前提からスタートしてしまっては、
どんなに頑張っても虚無でしかない。
そこを明確にしなければ、人は虚無の中に宝を探し続け、疲れ果て、
あげく自己と人生に失望し、落胆することになる。
生きる意味・目的を虚無の中に求めても得られないからだ。
虚無の中は虚無でしかない。
しかし、それでは私たちは腑に落ちない。
人間の持つ感覚・心理は納得しない。
人間は虚無であると説く哲学者も渋々そう言っているだけだろうし、
彼らもそこから抜け出そうともがいているはずだ。
21世紀の世界に生きる私たちは、いまだに自分が何か知らない。
自分がただ存在するだけでは価値がない、何か価値のあるもので
自分を飾り立てなくては存在理由を満たせない。
そんな強迫観念に憑りつかれている。
だから富・美貌・名声・権力・娯楽・快楽といったものを追い求め、熱狂し、
執着する。
それらを手に入れるための戦いに命もかけるのだ。
望むものを手に入れてもさらに欲しがり、また失うことに戦々恐々としている。
そのような人々は次のことを知らないし考えもしない。
実は自分が本当に欲しいのは、そのようなガラクタや儚いものではなく、
真に価値のあるもの、何にも代えがたいもの、永遠不滅のものだということを。
だが、自己も宇宙も虚無だと思っていては、そこへ通じる道が開けることはない。
さて、三人の会話は次のお題に向かいます。
⑴は虚無の壁によって行き止まりでした。
ではもう一つの道の先には何があるのか。
私たちが虚無の壁を乗り越えて、
人間の真実へ辿り着くためのヒントがあるのだろうか。
オリノ 「では⑵創造主が存在する場合、について考えてみましょう。」
仮想哲学者A「その前に一つ訊きたいのだが、さっきの⑴もそうだが創造主という
言葉を使っているがそれは神でもいいのだよね?
それとも意図して神ではなく創造主といっているのかい?」
仮想宗教者B「父なる神のことですよね。」
オリノ 「そうでした。その説明をしてませんでした。
たしかにキリスト教では創造主とは父なる神・聖書の神のことです。
ヤーウェ・エホバです。
ですがここでは敢えて創造主と呼びます。
宇宙創出時には人間も存在していませんし、キリスト教も、
その前身であるユダヤ教もありません。
ですからそれらの教義は脇に置いて、創造主とはどんなものか
考えようとしています。」
仮想哲学者A「なるほど、先入観を取り除いて一から考えようというんだね。」
仮想宗教者B「しかしどう考えるのですか?私には創世記の天地創造の
話しか思いつきませんが。」
オリノ 「やることは⑴と同じです。ビッグバンと創造主を結び付けて
考えるだけです。
まずは、ビッグバン前はどうなっていたと思いますか?
図にしてみましょう。
実にシンプルです。どうですか?」
仮想宗教者B「天地創造の前なのですから、そこにあるのは神ご自身と神の王国
ということになります。」
仮想哲学者A「つまり物質宇宙を創り出す創造主はビッグバンより前から
存在していなければおかしいし、存在するところも物質的世界より
上位の世界、形而上の世界だということだね。
しかもそこには創造主だけが存在するのだから、形而上の世界・領域
のすべてが創造主ということになりますね。」
オリノ 「そうです。創造主は形而上、あるいは霊的な世界・領域・次元
を横断・超越して存在する意識的・霊的存在です。
そして創造主は人間の想像も及ばない存在なので、
全知全能、完全、永遠、無限、遍在、無謬、愛とされます。
では、創造主にビッグバンを起こしていただきましょう。
ドッカーーーン!!!・・・・はい、こんなんでました。
物質宇宙、私たちが存在する宇宙が始まりました。」
次回に続く