sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観10

人生と創造の会オリノです。

 

今回で第10回会見は終わりになります。

この後は第11回会見、第18回会見と続きますので、

この「新しき人間観・人生観・世界観」は20回以上に

なる予定です。

では本文をどうぞ。

 

創造的に思考する人間は、創造と自己の内部に宿る霊を

経験するべき時を未来に見るのではなく、今この現在に見ています。

それによって彼は、意識の貧しい普通の人間にとっては遠く

はるかな未来に生きているのです。

しかし、多くの場合、それはまったく理解されません。

真に創造的に思考する人間にとって時とはいつかではなく、

いつもこの現在を指すのです。

真理を見るために、彼に肉眼は必要ありません。

彼は自己の内部を探求し始めます。

すると真理は彼にとってますます現実的なものとなります。

なぜなら彼の物質的意識に代わって彼の霊がこの現在において

すべてを見るからです。

どこで発せられた言葉であっても、聞き逃すことはありません。

急速な進歩を遂げるために、このような方向に生きる人間は

耳に届くすべての音から真理の音を聞き取ります。

こうしてあらゆる音が彼の物質的意識にまで到達し、

そこに定着します。

同じ様にあらゆる事物が彼に創造的なるもの、

そして真理そのものを思い起こさせます。

あらゆる状況は創造の状況であり、あらゆる機会は創造の機会です。

創造を意識した人間はこのような認識を持って生き、活動し、

それによって内面的に前進します。

この大いなるもの、すなわち霊的なものは、人間の深奥に存在しています。

なぜなら真理を認識することによって、無限なものが有限なものの中に

宿るからです。

そしてこの無限なものはどんな人間の中にも宿っていますが、

それを認識できる人間はごくわずかです。

なぜなら無限なものを呼び覚ますためには、理性的な論理を必要とし、

非現実的な教えに囚われてはならないからです。

しかし人生の目的は無限なものを呼び覚まして発揮させること、

つまり意識と霊を相対的に可能な限り完全なものとすることにあるのです。

意識の豊かな者は自らを、創造が霊の王国を表現するための

道具とします。

創造のこの卓越性こそ天国を興すものです。

意識の豊かな者は、あらゆる制約と、物質的で利己的な自我意識から

解放されており、そのため常に創造そのものと接しているのです。

人間にあっては、いまなお物質的原理が圧倒的に重きをなしています。

しかし、地球の学者たちは遠からず、物質の中に創造の原理を

発見するでしょう。

というのも創造はすべての被造物の中に、つまり自らを展開させ

進歩させていく万物の中に含まれているからです。

制限を受けることのない霊と創造そのものだけが、真の自由、

真の相対的に可能な限りの完全、真の認識、力、愛、知識、真理、

そして英知を意味します。

これらはすべて、その現実的な絶対性において創造そのものなのです。

したがって、人間が人生で本当に卓越したものを獲得するためには、

霊的なもの、無限なもの、制限され得ないものを拠り所としなければ

なりません。

制限されたものや制限され得るものはすべて、非現実的なものや、

様々な問題をもたらします。

どれほど魅力的に見えようとも、それはいつか問題や非現実的な

ものをもたらします。

様々な形態を持つ有限の事物は、内奥の本質、つまり霊にとって

不自然なもの、人間にとって疎遠なものとなります。

ですから人間はそれらを真理として認識し愛することはできません。

さもなくば、人間は極めて大きな痛手を被ることになるでしょう。

有限な事物には、いつでも必ず何らかの欠点がつきまとっています。

有限なものはすべて、様々な問題や困難を引き起こすからです。

人間が何か有限なものを愛するか所有すれば、少なくともそれは

いつか必ず消滅するという欠点を持っています。

人間が人間的な愛の感覚に従って有限なものをいくら愛したとしても、

それは寿命が尽きれば消滅し、人間はそれを惜しんで悲しむのです。

制限されたものは、別の観点でも弱点を持っています。

制限されたものは、たとえすぐさま消滅しなくても、

少なくとも必ず変化します。

制限されたものは瞬間的に人間的な愛で満たされたとしても、

次の瞬間には人間的な憎しみが押し込みそれに満たされます。

それが変化する事物であれ、消滅する事物であれ、

あるいは隣人に対する態度を否定的に変化させる人間であれ、

最後はいつも悲しみと苦しみだけが残ります。

一方、制限され得ないものは、決して変転することも変化することも

ありません。

なぜなら、それは限りない忠誠と絶対不変の価値を持っているからです。

人間の中で英知と真理が目覚め、意識的および霊的な知識が

増すならば、そして普遍の愛が彼を導き、自分自身と他の人間の

人生に祝福をもたらすならば、彼の中で真理の認識は熟したと言えます。

その時彼は自分の中に創造の一部を、霊、すなわち霊の王国を

意識するでしょう。

霊的な愛と英知の中にこそ、創造は宿ります。

霊的な光と霊的な愛のために闘う者に、創造への扉が開かれます。

人間が真理を愛するならば、相対的に完全なものや奇跡に満ちたもの、

そして霊の王国を自らの内に体現したものを愛するでしょう。

なぜなら、それは英知の王国へと至る道でもあるからです。

だから人間よ、創造の遍在を意識し、万物から霊的知性の輝きを

引き出しなさい。

広大で無限の果てしない宇宙空間にあっても、創造的なるものの目が

自分に向けられていること、そして真の知性とは創造にほかならず、

すべてを見守る目と、すべてに答えることのできる感覚で

自分を見ていることを認識しなさい。

創造的なるものの目のもとで、意識して霊的に生きるのです。

無限の力を持った霊的なものを意識して生きるのです。

人間は常にその力を意識していなければならないのです。

そうすれば人間は決して無力になることはないでしょう。

 

以上で第10回会見よりの引用は終わります。

次回は第11回会見中にセムヤーセが語った霊の教えの

説明に入ります。