sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観11

人生と創造の会オリノです。

 

第10回会見に続きまして、今回からは第11回会見の中で

セムヤーセが語った霊の教えの説明を掲載していきます。

この文章はコンタクト記録第2巻に収録されているものです。

 

第11回会見 1975年4月15日 15時40分

 

途中より

セムヤーセ)

では、霊の教えの続きをお話しします。

真に霊的、意識的に努力する者は、高貴な芸術家のようなものです。

穏やかな意識と柔和な本質を備え、愛と知識と英知に満ち、

大いなる感覚を持っているため、真理、均整、美、そして霊的意識的な

進歩に対してこの上なく敏感です。

その人生は自制され、純化されて、気高く、その視野は非常に遠大です。

彼の全感覚はおおらかです。

そして高い威厳に満ちたその簡素な人生の中に、美が表出されます。

彼の内面の平静さは、どんな画家も描くことができず、どんな詩人も

言葉に表すことのできない美しさを秘めています。

彼の霊的意識的な純粋さは、どんなに調和の取れた音楽でも

表現できない魅力を発揮します。

彼の自信に比肩するものはなく、彼の努力と目標は何らかの限界によって

尽きることがありません。

彼の英知は、常に至るところに遍在してどんな深い闇をも照らす光です。

それは夜の暗闇に圧倒されてしまう昼の光のようなものではありません。

それはまた人間の偉大な思想家の光のようなものでもありません。

そのような光はまさに彼が一番必要としている時に必ずと言っていいほど

機能せず、しかもそういうことがたびたびあるのです。

光の遍在は、決して過ぎ去ることのない永遠のように至るところで

発露しますが、世界中で最も美しく香しいバラやランの芳香でさえ

次第に消え失せ、無限なるものの時間の中で消滅してしまいます。

人間が万物の尺度であるというのは絶対に正しくありません。

万物の尺度は霊だからです。

人間自体は多層的な存在で、様々な外皮がその本当の人格を

他人の目から隠しているのです。

確かに人間は自分を粗大物質で作られた肉体と同一視し、

その必要に応えることもできれば、自分を自覚的な悟性と等置したり、

あるいは肉体と悟性の永遠不滅の証人である真の自己との一体性を

感じたりすることもできます。

でも、人間は自分自身を作り出すことはできません。

生命維持に必要なすべての目的は、それが人間という場所において

いかに価値あるものであろうとも、生来の人格を支離滅裂にさせる

ことなく、意識的な存在を長期に渡って隷属および屈服させることは

できません。

創造的に思考しない人間にあっては、物質的知性とそれが定めるところの

すべての法則が最高位に陣取っています。

その結果、霊と意識の発達はとてつもなく遅くなるのです。

霊的知性は、意識によって極めて自覚的に開発されなければなりません。

知性は自ずとより高い形態に移行すると考えるだけでは不十分だからです。

人間的な物質的知性は、可能性の悪循環の中を動き回ることが

できるにすぎません。

物質的知性はいつも対象の表面に突き刺さったままで、

その中に浸入して対象と一体となることはできません。

というのは、対象と完全に同一とならなければ、当の対象の知識を

得ることは絶対に不可能だからです。

したがってある人が同胞のことを知ろうとするなら、まず自分を

その人と同一視できなければなりません。

物質的知性は物質的感覚の存在を証拠立てるものと、

そこから導かれた結論を受け入れますが、

奥底からの主観的なひらめきは拒みます。

深遠な洞察が、彼の中に普通の意識が伝える以上の何かが

あることを人間に明らかにします。

その何かとは、あらゆる思考、感覚および感情の根源、

すなわち精妙な意識的霊的な遍在です。

それゆえ人間は物質的な努力だけではとうてい満足できないのです。

人間の普通の物質的状態が生命の本当の最終段階ではなく、

人間は生命それ自体の中に、より深く根源的な生命、

すなわち真の自己、不死の霊、何ものによっても決して消され得ない

光を持っています。

この教理を、あらゆる時代、あらゆる宇宙の思想家が永遠に追求して

きました。

あらゆる宇宙のすべての思想家は、本来の自己、すなわち生命の中の

生命を熟知せよという要求を異口同音に掲げています。

肉体はあらゆる瞬間に変化し、思考はまるで突風のように湧き起っては

消えますが、真の霊的自己は決して失われることがありません。

真の自己は万物に余すところなく浸透しています。

しかし、その形態は純粋に霊的なので、万物とは根本的に異なっています。

真の自己は、数限りない変化を通して感知される自己同一感の

根本的起源です。

それはありとあらゆる形態の万物を受容しながら、

常にそれ自身のままにとどまり、変化することなく固有の大きさを

永遠に保つのです。

それは宇宙、それもおよそすべての宇宙の多様な活動の内部にあって、

変わらぬ大きさを保ちます。

 

続く