sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観4

人生と創造の会オリノです。

 

続きです。

 

(創造と、その一部である人間の霊の持つ)

その力、その喜び、その平和、その自由、その英知、その知識、

その能力は、意識的に無知な者、非論理的な者、批判者、知ったかぶり、

宗教に囚われている者、退化した者、その他すべての誤った道に導かれた者に

とっては、想像もつかないものです。

この真理を認識し、そこから知識と英知と愛を作り出す人間だけが、

祝福された人となります。

そのような人は科学や哲学の最後の問題にも、また尋ねる人の質問にも

答えることができるのです。

そうした祝福された人となるためには、真理を求めて発見し、

そこから知識と英知と愛を作り出すことが必要です。

なぜなら人間は真理と知識と英知と愛の中でのみ、霊的および意識的に

成長できるからです。

それによって人間はすべての人間的な弱さから解放されるでしょう。

人間がいつまでも無限の創造と霊の現実を絶えず考え続けるならば、

初めて悟りを得て完全に解放されます。

霊的知性は法則的な霊の原理により啓発されて、創造の本質、完璧性、

そして創造的なるものそれ自体の力に向かいます。

それは人間の知性とは異なります。

人間の物質的意識は、一般に物質界の個々の事物にのみ取り組むからです。

その結果、人間はあらゆる方面で制約を受け阻害されます。

そのうえ、あらゆる種類の不幸、弱さ、隷属に囚われ、抑圧され、

苦しめられ、責めさいなまれるのです。

したがって、自分を事細かに見つめ分析することが、真理を発見し、

意識的で霊的な進化の道をたどるために最も重要な方法の一つです。

そのためには、絶えず自分の想念を考察し、それがどのような種類のもので

あるかを見極めることが必要です。

最終的に自分を常に導き、案内し、決定する者が、常に創造的哲学的原則、

現実、そして創造と自然の法則であるように、人間は留意しなければなりません。

人間は、自分が創造的なるものに属していること、自分という本来の霊の息吹、

自分という本来の霊的実存在とともにあることを常に意識する感情を、

常に身内に満たしていなければなりません。

人間は、自分という本来の霊的実存在が創造的なるものと一体であり

不可分であることをはっきりと意識し、この自覚によって外的な物質界を

克服することが必要です。

この創造的哲学的真理とその認識が、何よりもまず常に人間の思考と

感情と行動を支配すべきです。

結局は霊と一体となっている者だけが、ついには認識し、

また善をなすこともできるのです。

というのは、そのような人間は自分の内に創造の可能性を秘めているからです。

限りない宇宙のどのような否定的なものであっても、そのような人間を傷つけたり、

隷属させたりできません。

このような創造的哲学的意識のうえに、実践的で躍動的な創造的なるもの、

つまり、あらゆる事物の中に潜む唯一の現実の知覚から成り立っている神秘の

意識が加わります。

だから人間よ、実践的な哲学者かつ神秘論者でありなさい。

そして、変転し消えていく現象の中に現実を知覚しなさい。

 

そもそも人間とは何でしょうか?

姿と名前、それだけです。

人間から名前と姿を取り上げたら、何が残るでしょうか?

残るのは根幹をなす本質、すなわち実在。

つまり、霊と総意識体です。

これに気が付かない人間は、どんなに微弱な風にさえあちらこちらと

吹き飛ばされて、拠り所も無く絶望のうちにさ迷いながら、それでもどこかに

すがれるものを見つけようともがくのです。

でも根本的な真理を探し見つけなければ、すがれるものが与えられることは

ないでしょう。

地球やその他の世界の何十億という人間は空の星を見上げても、

そこから何らかの成果や認識を得ることはありません。

しかし天文学に通じた者なら、空を見上げて新しい世界を発見し、

それについて書物を記したりもします。

しかし彼らに見えるものや認識できるものが、他の人間にはたとえ空を

見上げることができたとしても、見ることも認識することもできないのです。

目は見えていても盲目同然なのです。

これと同じことが意識的に未熟な普通の人間や、意識的な自覚のない

人間に当てはまります。

霊的な創造の法則に従って真実に生きる人間は、周囲のあらゆる生命体、

あらゆる事物、あらゆる思考と行動、あらゆる人間、あらゆる自然作用、

そして考えられる限りのすべての状況と現象の中に、創造的なるものを

見出し、それを認識できます。

しかし、意識的に未熟で、宗教その他の非現実的な教えに毒されている普通の

人間は見ることも聞くこともできず、真理のかけらさえも認識できないのです。

このような人間の生活は意識的ではなく、そのためにいっそう人間的、

物質的な方向に押しやられています。

そのため、目も見えず耳も聞こえず、無知なのです。

しかし創造の法則に従う人間は、幸福に満ちた、恐怖をまったく知らない存在

となります。

そのような人間の意志は決して屈することがなく、その献身は計り知れないほど

無限であり、その英知と愛は永続的で完全で、宗教その他の誤った教えに

惑わされた人間のように気まぐれに変転することも懐疑にさいなまれることも

ないのです。

そのような人間の感覚は果てしない大海に等しく、

決して平静を失うことがないのです。

不安に震えることもありません。

だからもはやどんな堕落した否定的な力も届かなくなるほどに、

彼の霊的感覚を伸ばします。

その感覚は、負の方向に逸脱した思考が宿ることも許さなければ、

あらゆる正の方向に逸脱した思考や行動も退けるのです。

 

つづく