sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観12

人生と創造の会オリノです。

 

引き続き第11回会見をどうぞ。

 

人間として制約された人格はたまに自分自身を意識するだけであり、

それ以外の時は長い意識中断となります。

たとえ死が人間を見舞おうと人間の中にあって見たり認識したりするもの、

つまり霊は死にません。

なぜなら霊は創造の一部であり、総意識体と同じく永遠だからです。

この観察する主観的自己に、客観的な側面から触れることは

決してできません。

この永遠に存続する自己、すなわち生命の中の生命は、

物質的に証明することはできません。

なぜならそれは純粋に霊的な形態と本性を持つものだからです。

そもそも理性に恵まれた者には証拠など必要ありません。

なぜなら霊それ自体が自分自身の証拠だからです。

したがって貧困な意識の内に生きる者だけが、霊の実在について

証拠を要求するのです。

なぜなら彼らは思考が未発達なために、霊的な行為や出来事から

その実在を認識することができないからです。

霊それ自体はあらゆる知識過程の基礎土台であり、

霊そのものからすべての器官や能力に、進化と生命存続への

衝動が出ているのです。

霊、この普遍的自己は、精神的な不純要素のために

経験的自己と混同されます。

人間がこの自己を取り巻いているベールを突き破り、

自己を圧迫して覆っている物質的衝動の衣服を取り去ると、

肉体の内にありながら一瞬にして、その実存在という目的地に

到達します。

この内的な霊的実存在、すなわち限りなく簡潔で単純な、

生命そのものの生命は、超越的な現実、認識、知識、英知、愛

および自由を統合しています。

人間は単なる生物現象ではありません。

人間の中には霊的形態の微細粒子からなる精神組織体が

わずかな部分存在します。

それは潜在的可能性やあらゆる創造的能力という力を備えています。

人間の精神の本質を哲学的に洞察するならば、

必ずや宇宙的意識や創造の生命力という現実を、

精神的実存在の基盤および心の局面から見るだけでなく、

精神および霊的な局面からも把握しなければなりません。

人間が遺伝によって受け継ぐすべてのもの、

数十億回の生存を通して過去から携えてくるすべてのもの、

現在の人生や過去の人生で享受し、知り、読み、学び、あるいは

体験したすべてのものは、人間の無意識の内にではなく、

記憶のデータバンクに蓄積されています。

そのため人間は集中の技術をマスターもせずに、

無意識へ命令を下すこともせず、自らの知識と能力を十分に

活用することもないのです。

前世に由来するすべての知識と能力、経験、そして英知に対する憧れは、

人間の奥深く隠されたものではないのです。

人間はただ真理を認識し、受け入れなければなりません。

つまり、真理を認め、利用するのです。

でもそのためには自分自身の愚かさを克服する必要があり、

物質的知性だけでは人間は形成されず、霊的知性も同様に

働かさなければならないと認めることが必要です。

それが実行されて人間が自分の霊を認識すると、

前世で集められた膨大な知識と英知、能力、自由、愛および平和が

再び立ち現れて、人間のために大いに役立つのです。

そのためには、これらすべての特性を記憶のデータバンクから

呼び出して利用することを身に付けなければなりません。

知識、力、エネルギー、英知、自由および愛は、

絶対的なるものの創造的遺産であり、

人間に生まれながらに備わった権利なのです。

 

続く