sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観15

人生と創造の会オリノです。

 

今回より第18回会見においてセムヤーセによって語られた

霊の教えをお送りします。

 

第18回会見 1975年5月15日木曜日 21時34分

 

今日は他の事柄について話す前に、霊の教えを続けたいと思います。

それはあらゆる事柄の中で最も重要なものだからです。

人間は、創造という言葉もしくは名称に対して、非常に美しいものや

善いものが話題にされる時のように反応しなければなりません。

そうすることによって自分の感覚の中に変化が生じるように

心掛けなければならないのです。

それがなされない限り、創造を真にあるがままの姿で認識したとは

言えません。

しかし、もし人間が絶えず繰り返し創造の本質について考えることが

なかったなら、創造という言葉や名称が人間にとって非常に深い

意味を獲得し、人間の精神的な全行動様式、情緒的な知覚、

生命感情、そして反応の仕方に変化が生じるなどということが

どうしてあり得るでしょうか?

だから人間よ、創造の本質に当てはまる特定の属性名称、

例えば「全能」、「遍在」、「全知」などを、そのまますぐに創造という

言葉もしくは名称と結び付けるように心掛けなさい。

日常生活に埋もれた人間や、いわゆる無神論者、利己主義者や

物質主義者、不可知論者などの人々は創造という言葉に

一番関心が少ない人々です。

それはなぜでしょうか?

彼らは創造とは本来何であるか知らないし、

見当もつかないからです。

非常に多くの人々にとって創造という概念はそんなものです。

宗教によって惑わされた何十億という人々は、

創造という言葉を理解しません。

彼らが神という非現実的な宗教的な呼称を口に出す時、

それによって創造を呼んでいると錯覚しているのです。

でも、それはなんとひどい誤った教えでしょう。

だからこそ、創造の本質についてできるだけ多くを知り、

経験することが非常に大切なのです。

それによってこの言葉は意味に満ちて、その言葉を耳にするや

否や内面的に高められ、強い印象を受けるようになるのです。

経験が明らかにするところによれば、創造とは限りない美であり、

あらゆる美に勝る美であり、限りなく永遠に続く至福であり、

英知、知識、能力、真理、そして絶対的な確実さです。

このことを認識したなら、人間は直ちにそのすべての喜びを

それらの起源へと、すなわち果てしない創造の喜びへと

立ち戻らせます。

花であれ、動物であれ、人間やその他なんであれ、

およそ美しいものを見る時、人間は直ちにそれを創造自体の

無限の美と結び付けるのです。

あれやこれやの認識が印象深く厳かな形式で表現されるのを

見る時、彼はその認識が無限の認識、すなわち創造に

根ざしていることを知ります。

どんなちっぽけな生き物の中であれ、たとえば微生物のような

被造物の中でさえ生命が動くのを見る時、彼はこの生命の背後に

無限なもの、永遠なもの、創造的なものを認めるのです。

それに基づいて人間は、創造的なものの本質について

考えることによって、この本質が日々の生活や体験において

あらゆる時間、あらゆる空間に様々に現存していることを

知ることによって、自分の理解と感情を深め、拡大するよう

心掛けるのです。

 

続く