sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

真の自己である霊と、私という人間8

人生と創造の会オリノです。

 

皆さんどうも。

前回は上にある画像、別に珍しくもない空の様子について色々と

考えるという、半ば無茶ぶりのようなお題を出したわけです。

なぜそんなことをするのかというと、画像のような空は特別な気象現象

でもないし、余程ひまを持て余してなければわざわざ見ることもない

日常の一部です。

毎日のように見る光景、見慣れた景色というものは誰でも心当たりが

あるでしょう。

つまり誰でもこのような思考実験に参加できるということです。

 

では、とりあえず雲がどうしてできるのか忘れてしまった、もう一度知りたい

という方は下のリンクを参照してくださいね。

http://www.hitachi.co.jp/kids/kinopon/kinopontown/sky/03/page2.html#:~:text=%E9%9B%B2%E3%81%AF%E3%80%81%E6%B0%B4%E3%82%84%E6%B0%B7,%E9%9B%B2%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%93%E3%81%A0%E3%80%82

 

ということで、雲ができるのは空気中の水分量と気温と気圧が関係しています。

写真を撮った日はそれらの条件によってこのような長閑な空模様となったということです。

 

では、前回の宿題ですが、皆さんのお考えもできればお聞きしたいのは

山々ですが、そうもいきませんので、私がまた勝手に進めさせていただきます。

 

人間の目には、青空を背景に雲Aと雲Bが浮かんでいるのが見えます。

誰かと一緒に空を眺めて、”今日は空が青いね”とか”雲Aは綿菓子みたいで

本当にフカフカしていそうだね”とか”雲Bに念を送って雲消ししてみよう(変な人)”

なんて会話が自然にできるでしょう。

一緒にいる人が気になる異性だったり、前々からもっとお近づきになりたいと思って

いた素敵なあの人なら、会話を始めるきっかけになってくれるでしょう。

しかし、ここから先はそのような状況で言ってしまうと役に立たないばかりか、

あなたが理屈っぽくて面倒くさい人という印象を与えかねないのでご注意ください。

 

まず、雲Aと雲Bについてです。

両方とも晴れた日に見ることができる普通の綿雲であることは間違いありません。

地表付近から湿度の高い空気が暖められて上昇し、上空で冷えることで細かい

霧状の水滴が微細粉塵を核に沢山形成されます。

すると太陽光を吸収したり散乱させるようになり、人間の目には全体的に白く

見えるようになります。

それに対し光が差してくる方向と反対側は暗く見えます。

だから雲の上部は白く見えても下側や底面は灰色っぽくなります。

また雲の端っこは周辺の空気と混じり合うことで少しづつ消えてもいます。

人間の目には見えないですが、下から湿度の高い空気が供給されないと

雲は時間とともに文字通り雲散霧消してしまうのです。

反対に強い上昇気流によって雲の素材となる空気がどんどん上がってくると

積乱雲や雷雲が発生します。

一見、同じ雲がそのままの大きさで風に流されていくようにみえますが、

雲自体は発生と消滅を同時にしながら形や大きさを変えつつ移動もしている

わけです。

 

はいお待たせしました。

また回りくどいと言われますので要点を言います。

普通に、何気なく見れば、青い空に浮かぶ雲Aと雲Bということです。

別にそれが悪いとか考えが浅いなどと批判するつもりも毛頭ありません。

常にこれから言うように考えろ、なんてこともありません。

そんなこと四六時中してたら病気になります。

ただ、少し立ち止まって考えてみると人間が瞬間的に認識する内容と事実は

結構違っているということです。

”青空の中に浮かぶ雲Aと雲B”という認識には付け足すことや訂正すること

がいくつもあるのです。

まず、目に見えない”透明な”空気が意識されていません。

次に、雲AとBが白く見え、背景の空が青いために、人の目には雲AとBが

周囲の透明な空気とは別物のように思えることです。

あたかも明確な輪郭・外形を持つ物体、周囲の透明な空気とはことなるもの

と認識されがちです。

しかし、先ほど触れたように雲は常に周囲の空気と混じり合いながら形や

大きさを変え続けているのですから、人間には輪郭や境界をもつように

見えても、実際は流動的であり明確な輪郭や境界はないのです。

雲と観察者との間に相当の距離があるためにそう見えるだけであって、

近くによれば雲は霧のようなものです。

霧の出た日に、霧と通常の空気との境目を判別できるでしょうか?

霧でも靄(もや)でも霞でもいいですが、その先端・境目を見たという人は

いないでしょう。

雲と周囲の透明な空気は同じであり、雲の部分が少々湿度が高いという

だけです。

雲と透明な空気に境目などなく、同じもの、一体であるという方が正確です。

ですから雲Aと雲Bは別の雲という見方だけでなく、一体でひとつながりの

大気現象の一部と言えるのです。

 

そして上の空画像は地球の大気圏の極々小さな一部を地表から撮った

ものでもあります。

 

地球の表面全体を薄膜上に覆っている大気圏です。

人間の感覚ではとても大きく広く厚く感じますが、地球規模でみれば

薄皮饅頭の皮みたいに薄いものですね。

この巨大な大気の層の中に発生した雲で、大気圏から独立したり分離して

いる雲はありません。

大気圏を形成している空気が雲として見えているだけです。

ヨーロッパの空と日本の空に境目はありません。

在るのは”領空”とか”管制空域”とかいう人間の頭の中にある架空のもの

だけです。

また大気は太陽の活動、海や陸地、自然や生物、そして人間の活動との

間にも切っても切れない関係にあり、相互に入り交じり明確な境界は

見いだせない。

不可分で一体のものを便宜上別々に扱っているにすぎないからだ。

さらに、空をずっと上昇していくと宇宙空間に出ることを現代人は知っている。

大気圏の最も外側、宇宙空間との境目を成すのが外気圏という層です。

実は境目と言えるものではなく、ざっくりとした、大体の目安としてあるものです。

面白いことに、外気圏からは上層大気が宇宙空間へ逃げているそうです。

駄々洩れというほどでもなく、希薄な大気が出ていくだけだけなので

安心してください。

自然がきちんと補填してくれますので。

大気圏全体もただの雲と同じく、明確な境目や輪郭がなく、消えていく部分と

新しく補充される部分があるというのは良くできていますね。

 

いやいや今回は長くなってしまった。

でも次のお題は出さなければ。

 

では

 

今回の雲のように、人間の物質的部分、

つまり肉体について考えてみよう。

 

では次回に。