真の自己である霊と、私という人間19
人生と創造の会オリノです。
ようやく秋っぽくなってきました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
~神は全知全能ではないし、完全でもない~
前回は靖国問題で寄り道をしてしまいましたので、今回は本題である
「神」批判をさっさとしていきましょう。
「神」を否定するなんて罰当たりで恐ろしいと思う方もいるでしょうが、
本当にシンプルに分かりやすくしていきますので、しばしお付き合いください。
間違ってもニーチェみたいに発狂したりしませんから安心して読んでください。
まず、「神」は全知全能で完全な存在とされていますが、少し考えるだけで
それが嘘であることが分かります。
それが理解できれば、逆に何故そんな単純な論理に気づかなかったのかと
拍子抜けすることになります。
ではいきますよ。
「神」が全知全能ではなく、完全でもない根拠は
”救いの神であるから”
です。
どうですか?
簡単ですよね。
ですよね~ww
おふざけはここまでにして説明していきますね。
~全知・全能・完全って何?~
まずは恒例の言葉の意味を確認していきましょう。
何となく分かったつもりになっていても、個人的な経験や誰かの考えが
いつの間にやら混入していることもありますから確認は大事です。
全知とは・・・・・・・すべてを見きわめる知恵。完全な知恵。
全能とは・・・・・・・どんなことでもできること。完全無欠な能力。
完全とは・・・・・・・1 欠けたところや足りないところがまったくないこと。
必要な条件がすべてそろっていること。また、そのさま。
2 欠点などのないようにすること。
全知全能とは・・・知らないことは一つもなく、できないことは何もないということ。
すべてのことを知り尽くし、行える完全無欠の能力のこと。
ついでにこれも調べましょう。
人格神とは・・・・・人間性をもつ超越的存在。知性・情念・意志を兼備して、
人間とかかわりをもつとされ、霊と比べて個性がはっきりしている。
超越的存在とは・・人智(人間の知性・知恵)を超えた存在。
ということです。
なるほど、これだけ凄い存在なら宇宙を創り出すことも可能なんでしょう。
そして「神」は宇宙を創り、最後の仕上げに「人間」を創ったと「創世記」は
伝えています。
~「全知・全能・完全なる神」の作品である「人間」~
もうここまで書けば半分ネタバレしたようなものですね。
意外と簡単な論理ですよね。
分かってしまえば、目から鱗が落ちるというか、憑き物が落ちるというか、
誰でも理解できることなのに盲点のようになっていたのです。
ですよね~www
では説明といきたいですが、今日はここまで。
是非ゆっくり考えてください。
そうすることで宗教の悪しき部分を理解し、宗教によって起こる不幸や
悲劇を根絶することが可能になるのですから。
ではまた次回に。