sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

乗り越えるべき壁・・・「救い」という毒3

人生と創造の会オリノです。

平和瞑想参加者控え室

https://twitter.com/wCHKfq0N3mtE7xo

 

続きです。

 

オリノ   「達也さん(Aさん)が言ったように基本的に宗教の持つ

      肯定的な側面、人間愛、寛容、愛、慈悲、誠実、謙虚を

      教えることは評価できます。

      しかし信奉する神格と教義、そして救いを絶対視するあまり、

      信徒自身が主体性と自尊心、理性と思考、責任と義務を

      かなぐり捨てて隷従・盲信に陥る危険は常にあります。

      信仰という言葉の意味は次の通りです。

      ”神、仏など神聖なものを絶対視し、信じ尊ぶこと。”

                      その説明でもいいのですが実態はこうです。

 

     ①神、仏などによる救いを信じ、救われるために人生観、価値観を

      教義に合うように変えること。

     ②死後の世界で与えられる優遇・特権を信じ、それを得るために

      筋の通らないことも受け容れること。

     ③死後の世界で受ける劫罰・苦しみを恐れ、そうならないために

      筋の通らないことも受け容れること。

     ④自身の信じる宗教は正しいが、その教えと異なる物は間違いとする

      独善的な信念を持つこと。

     ⑤自身の信じる宗教に囚われ、視野狭窄に陥ること。

 

      上に挙げた5つは”救い”という甘美な毒、幻覚剤の作用、症状です。

      ではこの麻薬はどこから来たのでしょうか?

      この薬物に依存する者は神とイエスキリストだと言うでしょう。

      そしてその両者が創造主・絶対者であると信じ、主張します。

      神が人間にこう言ったからです。

      「オッス!おら、そうぞうしゅ!おらを愛してくれよ!畏れろよ!

      おら以外を信仰すんじゃねえぞ!

      そんなことしたら地獄に落っことすぞ!」

 

仮想哲学者A「やめろ!なぜここで悟空なんだよ!?野沢雅子に謝れ!」

 

オリノ   「しかし全能なる創造主が被造物に自己紹介と賛美・崇拝を

      強要するということがあり得るでしょうか?」

 

仮想哲学者A「スルーしやがった。」

 

オリノ   「創造主が被造物に賦与した自由意志を侵害することは

      あり得ません。

      この一事だけでも神と創造主が別物だとわかります。

      前にも言いましたが、この創造主を詐称した神が本当に

      全能なるものだとしても、そこから出てくるのはヤラセ、

      自作自演、マッチポンプとしての救いでしかありません。

 

      真の創造主は救いなど行いません。

      わざわざ救わなくてはならないものを創ったりする必要もないし、

      そんな無駄なこと、非論理なことをする理由がありません。

      創造主になりすました神は人間を支配して下僕・奴隷にしたかった

      としか思えません。

      救いもそのための道具として人間に信じ込ませた、と考えれば

      辻褄が合います。

 

      ここでイエスの説いた隣人愛に戻ります。

      彼はすべての人に愛をもって接しなさいと言いました。

      敵をも愛せと言ったのです。

      つまりイエスは相手が、

      同胞でも異邦人でも、男でも女でも、子供でも老人でも、

      金持ちでも貧乏人でも、健常者でも身障者でも、

      賢くても愚かでも、美しくても醜くても、謙虚でも尊大でも、

      犯罪者でも警察官でも、農夫でも政治家でも、

      そして異教徒でも無神論者でも、すべての人に対して、

      自分と相手が同じ人間であること、創造主によって創られた

      唯一無二の特別な存在であることを意識せよ、忘れるなと

      言っているのです。

      人間の浅はかな考えを通して相手を見てはいけない。

      相手の外見、権力、経済力、性質を考慮しても、

      それらに囚われ、それが相手そのものと思い込むこと、

      それらを根拠に上下、優劣があると決めつけてはいけない

      と言うのです。

      どんな相手でも、自分と同じ創造主の被造物であること、

      絶対者が存在させている生命であること、

      創造主の目からは同列にあること、優劣などはないこと、

      創造主は見下されたり、軽蔑されてよい生命を創ることはないこと、

      そう考えるなら、すべての人の背後に創造主の存在を見るだろう。

      そう考えるなら、どんな相手にも謙虚に敬意をもって接せるだろう。

      そう考えるなら、自分も相手も同じものだと思えるだろう。

      そう考えるなら、愛をもって接していると言えるだろう。

 

      そんな感じに私はイエスの隣人愛を考えています。

      そしてここからが肝心なのです。

      エスの隣人愛と救いは両立しません。

      むしろ鋭く対立します。

      イエスは創造主とは親和しますが、神とは対立します。

      隣人愛の教えと地獄の劫罰が、頭の中で何の違和感もなく

      同居しているなら、それは救いという麻薬に中毒しているのです。

 

      聖書が神の霊感によって書かれたという者がいます。

      それはとんでもない大嘘です。

      すべて人間が勝手に解釈して書き残したものです。

      内容も、創造主を詐称した神が人間を従わせるために

      行ったことを書き記したものです。

      書き手もその点では騙されていましたが、その分、自分の

      解釈を書いているのです。

      旧約に限らず、新約でも改竄はされたのです。

      なぜなら聖書の内容は人間が正統と異端を決めたからです。

      今度は神に変わって教会が信徒を支配するための道具として

      ”救い”が悪用されたのです。

      誰が救いの対象となるのかも会議で決めたのです。

      イエスキリストという存在も捏造されたものです。

      もとはイマヌエルという非凡な人間が存在したのです。

      それを馬鹿馬鹿しい三位一体の神に祀り上げたのです。

 

      仮にもし、本当にそんな人間の空想物があるのなら、

      愛をもって隣人に接しなさいと言ったイエスと、容赦なく人間を

      地獄に投げ入れる神が同一だということです。

      全能なる者が精神分裂症とは情けない話です。

      たぶん隣人愛の部分を改竄し忘れたか、そのままで大丈夫と

      判断したのでしょうが、今になってボロが出たのです。

             

      このことからもキリスト教をはじめとする救済を説く宗教が、

      狂信的人間の創作であるとわかるはずです。

      だからこう言うのです。

 

『宗教が救済を説くのは、信徒を呪縛するためである。

 

救いは真の創造主には無関係な人間の妄想・創作である。

 

聖書の神は創造主を詐称した人間的存在である。

 

それでも両者が同じものと言うなら、

 

その者は全能なる創造主を曲解し、矮小化し、

冒涜する者だ。』

           

終わり

駄文にお付き合いいただきありがとうございました。