sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

新しき人間観・人生観・世界観3

人生と創造の会オリノです。

 

 

続きです

 

英知とは、一つの根源的で強大な力です。
英知は光です。
そして光の射す所であればどこであろうと、暗黒も無知も消え去ります。
無知は暗黒そのものですが、英知の光がこれを打ち倒します。
英知は、霊と意識の実在の特徴であり、幸福、真理、知識、平衡、美、調和、

そして平和という特性を内にはらんでいます。
英知は光です。
英知はまた、霊と物質的意識の実在を認識し、創造の法則に従って

それらを活用する人間の特徴でもあります。
英知とは、意識を発展させることであり、意識の力と霊の力を利用することなのです。
英知と霊および意識と真理はそれぞれに二物ですが、

日光と太陽が二物だというのと同様に、結果として一体のものです。

日光は太陽の熱があるからこそ生まれ、太陽の熱はそれを作り出すプロセスが

あるからこそ生まれるのです。
そしてまた宇宙においても万物を創造する一つの実在があります。

その実在は自らの力の強さによってカを生み出し、

それらの力は真理、知識、英知として定められた創造の法則に従い、

規則正しく惑わずに然るべき統一的な原則に沿って終わりのない永劫の時を刻み、

またこれに生命を与え続けるのです。
このカに満ちた実在こそ創造なのです。
したがって、宇宙をあまねく支配するただ一つの実在があり、ただ一つの創造、

ただ一つの真理、ただ一つの知識と英知があるのです。

それらは永遠の時にわたって一定不変です。
永遠の真理は、変動することも変化することもありません。

真理の法則は修正されたり、新しい時代に適合させたりする必要が決してないのです。
霊の力は意識の力と同じように生気にあふれて躍動的であり、

しかもその程度は、霊の力が英知を具現するほど高まります。
宗教や教派とそれらの誤った教えが創造的なるものの道具とされ、

それによって英知が非現実的なものとなるならば、

それは人間の弱さの表れです。
この時、人間は力と自由と喜びと光をありもしない場所に求めるようになるのです。
英知は、創造の一部が霊として人間の中に宿っていることをはっきりと示す標識です。
だからこそ人間よ、自分の意識によって分かる限り英知を高めなさい。

そうすれば人間は創造を認識することでしょう。
いっそう真理を追求しなさい。

そうすれば英知の力を知ることでしょう。
真理を認識すれば、人間はあらゆる制約から解放されます。
真理は、無限の知識と英知をもたらします。
英知は、創造の法則を認識するための強力な手段です。
愛で満たされた人は、英知もまた豊かです。

英知が豊かな人間は、愛にもあふれているのです。
でも地球人は愛を知らないので、自分を欺いています。
本当の愛を知らず理解することもないままに、占有欲やその他の感情を

愛と誤認しているのです。
人間はたとえ創造という言葉を使わなくても、真理と知識と英知を認識して

身に付けた時に初めて本当の人間となるのです。

なぜなら、英知は至上の愛でもあるからです。
こうして人間は、悟りと認識は知識であり英知と愛でもあること、
そして愛が支配するところは英知も支配することを常に気付くのです。
また愛と英知は互いに切り離すことができません。

創造とその法則は、愛と英知でもあるからです。
英知と知識があるところには愛と認識があり、

そして愛と認識があるところには創造があります。
愛と英知の高まりが、人間に創造を認識することを教えます。
でもその前に人間が真理を学べば、自由と平和、

すなわち不滅の平和と無限の力を獲得するでしょう。
英知と愛は、創造という存在と本質から生き生きと広がる両翼です。
英知と愛をもって人間は万物の上に立つのです。
英知と愛によって、人間は創造と自然の法則の遂行に

ますます専心するようになります。

なぜならば、霊と創造は一つのものだからです。
地球人は、愛を知らないのに愛について語ります。
自分の感情が愛であると思い込み、それによって自分を欺くのです。
愛は言葉では表現できません。愛とは幸福と同じように状態であって、

場所ではないからです。
真の愛は不滅であり、これを別のものに変えることはできません。

意識の力と霊の力の小道が、真理、知識、英知と愛の認識へと導くのです。

したがって霊の教えの意義と使命は、真理、知識、英知と愛を広めることを

その中に含んでいるのです。

霊の教えが乱用されたり誤って解釈されたりすると、

それはもはや救いではなく、悪質なカルトにすぎなくなります。

それらのカルトは教派や宗教の誤った教義の例と同様、

邪説によって物質的意識を隷属させ、無知を作り出すのです。

しかし霊の教えが意識と霊知識を拡大する役目を果たすならば、

それは創造の秩序を保つ強力な道具となります。

霊の教えの主眼は、認識、真理、知識、英知、

そして愛を広めることにあります。

死を克服し、光を放ち、調和ある英知と愛を実現し、

あらゆる理解を超えた平和を体現する永遠と不死と不滅を

広めることにあります。

人間は誰でも平和とはどういうものか、

自分の経験に照らして知っていると思います。

しかし、無限の実在、霊、すなわち不死なる創造の英知に基づく

平和を理解するのは、人間の理解力ではとうてい無理なことです。

それは人間が、宗教の誤った教えや人間的物質的な事柄に囚われており、

それらが人間が内的経験に基づいて理解するのを妨げているからです。

真の認識と英知に至るための真の鍵となるのは経験です。

霊の王国には、数えきれない奇跡が含まれています。

人間がかかわっている可視の宇宙は、この奇跡に満ちた限りない

創造という霊的知性の中に有って単なる小さな点にすぎません。

このような宇宙はこの限りない創造という霊的知性の中に、

何十億と数限りなく含まれているのです。

人間が肉眼で捕らえることのできるものは、無限の中のただ一点にすぎません。

人間が肉眼で見ることのできないものは計り知れず、考えも及ばないものであり、

霊的でない人間の知性と理解力では混乱を招くだけで想像もつきません。

人間が見ている全宇宙は、何十億という数限りない空間の内のただ一つにすぎません。

なぜなら限りなく強大ですべてを創り出すこの創造という実在の霊的知性の中には、

宇宙の中の宇宙、宇宙の向こうの宇宙、宇宙の下の宇宙、宇宙の上の宇宙、

宇宙の外の宇宙が存在しているからです。

そして人間はこの巨大な霊、そして実在、創造および霊的知性の根源的な力と

結び付いています。

なぜならこの霊的知性である創造の一部が人間の中に霊として宿り、

人間に生気を与えているからです。

 

続く