真の自己である霊と、私という人間。1
人生と創造の会オリノです。
「霊の教え」は、私たち人間が霊的実体を本質とする存在であり、
創造霊の小片の現身(うつしみ)として粗大物質で構成された世界に
現れた生命体だと説明している。
霊こそが人間に生命を与え、維持し、その活動を可能にしていると
教えている。
つまり人間を肉体的・物質的な側面だけではなく、霊的側面まで
思慮してそれらの関係性を見るなら、霊的部分が物質的部分より
上位にあり、霊>肉体であることが分かる。
霊は「創造」と同じ実存在であり、不滅の存在です。
遠大な時間と進化の段階を通過した最後に「創造」と一つになることで、
その使命・目的を達成するまで続くのです。
それは永遠の生命を意味します。
この霊的実存在が「創造」から創出され、最初に通過するのが、
人間生(物質的領域)と死後生(霊的領域)を循環しながら進化・
発達する段階です。
現在の私たちは人間として、この惑星の住人として生きています。
あなたが、そして私が一人の人間として、地球人として存在しているのは、
私たちの実存在である霊が転生サイクルの進化段階にあるからです。
ここで重要なことは、転生をするのは上位にある実存在、霊であり、
人間の心・意識・人格は新しい人生に適したものに入れ替えられます。
別の言い方をすれば、霊=実存在は自らの進化・発達に適した、つまり
現状の段階からさらに進化・発達をするために必要な諸条件を備えた、
人間=現存在を創り出すのです。
また、このことを自然にあるもので例えるなら落葉樹が良い例でしょう。
春になると新しい葉が生え、秋から冬になると葉が枯れ落ちる木々です。
冬の間、木は人間の目に枯死しているように映ります。
しかし木は枝先に新しい葉を生やす準備をしています。
春が来ると葉を茂らせ、その葉で光合成を行い、木の成長に必要な養分
を作りだします。
秋になると葉は枯れ落ち、腐葉土となって木の養分となります。
次の春、成長して幹が太くなり枝を増やした木はより多くの葉を茂らせます。
この例えで伝えたいのは次のことです。
まず、木と葉は一体ですが本体・主体は木のほうです。
木の幹から伸びる枝が無ければ葉は生じません。
先に葉ができて、後から枝や幹ができることはありません。
また葉は枝から千切れ、分離した状態ではあるべき姿と機能を
保持できずに乾涸びてしまいます。
そして葉は春から秋の終わりまでしか存在できませんが、
木本体は何十年、何百年と存在し続けます。
よって木>葉という見方ができます。
しかし、主体である木が単独で存在するだけでは正常な成長は
できません。
木が葉を生やし、葉が光合成と水分の蒸発散をすることで木は
成長することができるのです。
木が成長するために葉は不可欠であり、木は成長するために
葉を茂らせるのです。
木は葉が活動中に作るエネルギー・養分を取り込み、落葉して
分解された物質も吸収して木本体の成長と次年度分の葉を準備
するのです。
この成長のサイクルは小さな種が発芽した時から始まり、木が生きている間は
継続します。
最初はか細い幹と数枚の葉を持つ幼木が、やがて幹も太くなり
数えきれない葉を身に纏うようになったのなら、
それは毎年新しく生じた葉が本来の働きを成したからであり、
その働きが木を成長させると共に枝葉を増やしてきました。
今ある葉は去年の葉の働きと木の成長度合いの影響下にあり、
去年の葉は一昨年の葉の働きと木の成長度合いの影響下に
あった。
来年の葉が今年の葉の働きと木の成長度合いに影響を受ける
ことは間違いないだろう。
木の幹を霊に葉を人間に置き換えてみてください。
葉の働き・・・・人生の内容
木の成長・・・・霊の進化・発達
去年・・・・前世
といった具合で。
次回はまた違うもので例えてみようと思います。