sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

真の自己である霊と、私という人間5

人生と創造の会オリノです。

 

今日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。

初めての方、偶然来られた方、偶然にも今回は「偶然」とは

何を意味するのか、ということを書いていきますので

よろしくお願いします。

 

「偶然」と「必然」という言葉は対義語になっています。

「対義語」とは意味が反対の言葉ですね。

この「偶然」と「必然」という言葉はよく知られてはいますが、

よく使われて、身近に感じるのは「偶然」のほうです。

例えば、あなたがテストや仕事でよい結果を出したときに、

友人や同僚に褒められたら「偶然だよ」とか「偶々だよ」と

謙遜しつつ言いますよね。

これが「必然だよ」とか「必然的な結果だ」と言ってしまうと、

人間関係がギクシャクすることになるので心の中は「必然」でも

「偶然」ということにしておくわけです。

控え目や謙虚さが好まれる世の中なのですから、必然的に「偶然」

の使用頻度は多くなります。

ですので文脈にもよりますが「偶然」という言葉の意味と同時に

うっすらと「謙虚」・「控え目」・「運良く」といった印象も含むようになって

いると感じます。

 

反対に「必然」という言葉を使うと、もちろん文脈に左右されるのですが、

まるで「自分は最初からこうなるのは分かっていた」とか「私は頭が良い」

といった印象を与えかねない。

また「偶然」がそのままよく使われるのに対して「必然」は日常会話では

ほとんど使われることはなく、「避けようのない」・「運命」・「なるようになった」

というふうに言い換えられて使われています。

お堅い文章や討論・演説の中では使われても、普段は使うことがほとんど

ないので、そこから「大袈裟な物言い」や「格好つけ」の時に使う言葉という

イメージがあるのではないだろうか。

 

こうして比較すると「偶然」という言葉には良いイメージが付随している。

「偶然の出会い」・「偶然の出来事」・「偶然の一致」・「偶然の結果」等々。

不思議なこと、思ってもみなかったこと、想定外のことが、良いことや幸運を

連れてくるような感じがするのではないでしょうか。

棚から牡丹餅、瓢箪から駒、ということです。

それに比べ、「必然」は言葉自体になじみが薄いうえに、固く重たい感じです。

例えば「必然の結果」という一文からどんな結果を連想するでしょうか?

周りのみんなが笑顔になるようなハッピーな結果ですか?

そうじゃないですよね。

例を挙げると。

"苦手な数学のテスト勉強をしなかったのだから赤点は必然の結果だ。"

"先の戦争で日本が負けたのは国力の差からして必然の結果だった。"

"相手を侮り慢心していたのだから試合に負けたのは必然の結果だ。"

といった具合に、「偶然」が幸運に結びつきやすいのに対して、「必然」は

厳しい現実や喜ばしくない現実と結び付けられる傾向にある。

私個人は「必然」と「偶然」という言葉が持つ本来の意味とは別に、上に挙げた

ようなイメージ・印象を持っていますが、読者の皆様はどうでしょうか。

 

またまた長い前置きになってしまいました。

特定の言葉に何らかの先入観やイメージを持っていることに気が付けば、

それらが本来の意味に紛れ込んだり、ニュアンスを変化させたりすることを

防ぐことができます。

そのためにまた回りくどいことをしていたわけです。

では本来の意味を見ていきましょう。

 

「必然」・・・・必ずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと。

 

「偶然」・・・・他のものとの因果関係がはっきりせず、予期できないような

        仕方で物事が起こること。

 

という意味です。

では究極の二択問題に当てはめてみましょう。

 

問題

ではなぜ「物理法則などの諸法則」が実在することになったか?

 

A必然・・・・なるべくしてなった。

B偶然・・・・偶々そうなった。

 

こうしてみるととてもシンプルな文章ではあります。

しかし理解するのは大変そうです。

果たしてそれが何を意味するのか探っていきましょう。

 

まず直感的に理解できそうなのはB偶然のほうでしょう。

多くの学者も言っていることです。

どんなことを言っているかというと。

まず宇宙は今ある宇宙以外の形態として存在した可能性がある

ということです。

ビッグバンの規模やエネルギーがもっと小さかったり大きかったり、

物質を発生させずに消滅したり、もっと物質の種類や質量が多かったり、

もっと銀河が少なかったり多かったり、という感じに無数のバリエーション

があるはずだ、ということです。

宇宙に無数のバリエーションがあるなら、それらを形成する諸法則も

同じく無数のバリエーションがあるということです。

別の言い方をすれば、重力加速度や熱力学といった諸法則の既定値が

すこしでも違っていたら宇宙は今とは違った姿で人間も存在しなかった

かもしれないということです。

そして偶然にもこの宇宙は”とてもよくできた諸法則”によって制御されて

きたので、多くの天体と生命まで宿すことになったというわけです。

ではどうして”とてもよくできた諸法則”が選ばれたのでしょうか?

いえいえ、選ばれてませんし選んでもいません。

選んだり選ばれたりしたら、それは偶然ではなく必然になってしまいます。

偶然であるなら、作為・選別・決定・因果関係など一切なしに偶発的に

そうなるのです。

つまりビッグバンが起こってみないと、そこにどんな諸法則が働いているかは

分からないということです。

偶然であるということは、因果関係さえ無視され、すべてが行き当たりばったり、

つまり混沌です。

 

今回は少しディープな内容でしたし、長くなったので続きは次回です。