sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

49項目の質問と回答11

 

 

このシリーズも最後です。

 

46,創造と創造主の間に区別はありますか?

 

Ein offenes Wort

Seite 116, Satz 839 und Seite 136, Satz 1014-1018

「私は創造である。しかし主なる神ではない。」

誰かが真の形態における創造、その実効的な力に関する知識を持つならば、

人間として自分が本来何と結び付いているか知りたい、少なくとも予感したいと

思うのは自明のことである(それは人間の本質に属しているからである)。

それゆえ彼は誤った「啓示」に惑わされることなく、真理について、したがってまた

力そのものとしての創造について知る。

なぜならば創造の実在が真理、したがって知識を証明するからである。

それによってまた、ここにあるのはもはや信仰ではなく知識であることが明らかとなる。

そしてこの正しい知識において創造自体が証明されるが、それは真に理解力があり、

自然の論理に生きる人間に限られている。

というのも人間がその実在を法則により法則の中に見出し、自らの内で霊的、意識的に

成長するのであり、創造自体がその実在をまず最初に特別に証明する必要はないという

のが創造の原初の法則であり、原初から定められているからである。

 

Seite 139, Satz 1036-1038

人間は考える能力があるのに、どうして神や神創造主を信じ、そして唯一創造のみが

存在するという知識を認識するに至らないのか。

およそ創造が神とわずかでも関係があるとすれば、どのような種類のものであれ神も

また創造の被造物に過ぎないという限りにおいてである。

神自身が創造であったことはかつて一度もなく、これからも神の形態のままであろう。

創造の被造物である人間が創造自体と似るというようなことがどうしてあり得ようか。

ただし、創造霊の小部分は別である。

創造霊は本来の生命の基盤であり、不変であり、そこにおいて人間の移ろいゆく定めの

物理的肉体がその実在を開示する。

すべてのカルト宗教は言語道断なことに、自分たちの神を創造主と名付け、そうすることによって創造自体と呼んでいる。

しかしそうした呼び名の神は人間以外の何物でもないのである。

 

47,預言とは何ですか、予告とは何ですか?

 

Prophetien

Vorwort, Seite 5

預言と予告について、なお次のことを説明する。

予告とは一種の未来予想である。

これは極めて豊富なカバラ計算により非常に正確な結果を導くか、あるいは種々の

形態の未来旅行によって未来を探求することによってなされる。

そのため予告が、いかなる変更や回避の可能性もなく、絶対に確実であり、

不可避的に的中することは明らかであろう。

予告は確定した事実の首尾一貫性に基づいており、それらの起源と生成から極めて

特定の作用が生じなければならない。

預言はこれとは異なり、原則として警告的な機能しか持たず、適当な時期に変更を

講じない場合に特定の要因から生じる帰結を示すのみである。

つまり変更が講じられなければ、預言は予告となって否応無く実現する。

それゆえ熟慮すべきは、預言の表明や告知は人間の行動の価値に応じて変わり得る

ものであるということである。

つまり預言された出来事が正しい進化によって適切に変更されたなら、それが将来

的中することは確実ではないのである。

 

48,「十戒」を作ったのは誰ですか?

 

オリノです。

この部分も質問と回答がズレてます。

ご了承ください。

 

Dekalog

Seite 11, Satz 29-39

人間よ、君には光と生命が与えられており、それらは君を徐々に真理の道へと導く。

それゆえ君はこの光と生命の中にとどまり、自分が歩んできた道からそれてはならない。

それは君をますます創造へと近づける道なのだ。

君は創造の普遍的な愛にはるばる導かれて、創造を不変の光のもとで認識した。

それはまた創造と大いなる時間を自分で見る段階へと君を導いた。

このことは君の現在の悟性にとってまだ明確に把握できないとしても、いつか私が

言った通りであることがわかるだろう。

それゆえ決して休むことなく、生命について日々開示されるものより遠く深く探求するのだ。

というのも、そうすることによってのみ日常が君にもたらすものに満足せずに、君は真理においてより深く発展できるからである。

より多く求め、常に探求および探索するならば、創造の愛と真理の輝きを持ち、知識と

創造自体の力から生まれる要素を容易に獲得できる。

それゆえ日々探求と探索に励み、創造の掟と法則を遵守するのだ。

創造の掟と法則は、あらゆる方向で観察されねばならない。

創造がその法則と掟を自,然に与えたとき、自然は永遠に決定された。

このとき与えられた法則と掟は永遠に妥当である。

なぜならば、創造の宇宙の全範囲において法則と掟の中にすべての愛が開示されて

いるからである。

それゆえ君は君の全思考と探求、探索と認識、生き方のすべてを、与えられた創造の

法則と掟に適合させることによって、創造の法則と掟を微細な点まで遵守する場合のみ

正しい道にいるのだ。

 

49,なぜ創造は崇拝に値するのですか?

 

OM

Kanon 2, Vers 8-20

イシュヴィジュは尊敬と崇拝に値しない。

これらに値するのは創造のみだからである。

預言者は尊敬と崇拝に値しない。

これらに値するのは創造のみだからである。

預言者の霊的指導者は尊敬と崇拝に値しない。

これらに値するのは創造のみだからである。

人間はイシュヴィジュや預言者預言者の霊的指導者に決して祈りを捧げてはならない。

祈りに値するのは創造のみだからである。

人間はイシュヴィジュや預言者預言者の霊的指導者を決して尊敬してはならない。

尊敬に値するのは創造のみだからである。

尊敬と崇拝に値するのは創造のみである。

なぜなら創造はその宇宙において最高のものであり、最も完全な完全性だからである。

しかしすべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

地球の人類のイシュヴィジュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と

畏敬の念を抱け。

すべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

イジュヴィシュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

そこにいるのは三つの世界における地球人の王だからである。

預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

そこにいるのは真理と愛、英知と知識に包まれた地球人のための真の預言者だから

である。

預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

そこにいるのは感化すべき地球人と真理の教えとの間の媒介者、告知者、知者、

慈悲者、賢者だからである。

預言者の霊的指導者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。

そこにいるのは知者であり、預言者の指図で無知な地球人を導く教師だからである。

創造の法則と掟を遵守せよ。

これらを遵守してのみ、まことの生命と存在への進化が保証されるからである。

 

Kanon 3, Verse 9, 10 und 15-18

創造のみがあらゆる創出、生命、そして存在の力である。

創造のほかに尊敬と崇拝に値するものはない。

創造は創造であり、その宇宙に存在しているすべての創造を生み出した。

創造は創造であり、すべての創造を、したがって生命、存在、天と地、銀河系と蒼穹

そしてあらゆる被造物とあらゆる生命の群を生み出した。

創造は創造であり、その宇宙に創造のほかに創造はない、

そして創造はOMである。

 

(出典:『49項目の質問と回答』)