ビリー・マイヤー氏インタビュー(ミッション編)9
もう少しでインタビュー記事は終わります。
問12) あなたはどうしてビリーと名乗るようになったのですか。
ビリー・マイヤー氏
A) それは1964年、ペルシャ、つまり今日のイランのテヘランで名付けられました。
そこで私はアメリカのロサンゼルスから来た若い女性と知り合いました。
彼女の名はジュディ-·リードでした。当時私は西部の男のような服装をしていました。
それはとても便利だったからです。
そのため彼女は、ジェームズ·バトラー·ヒコック、通称ワイルド·ビル·ヒコックに似ていると言って、私をビリーと呼びました。
それ以来、私はどこへ行っても、ビリーの名前で呼ばれました。
それが今日に至るまで続いているというわけです。
問13) あなたが最初に瞑想をしたのはいつ、どこでですか。
ビリー・マイヤー氏
A) 1940年代半ば、私の故郷の村ビューラッハの付近です。スファートのビームシップの中で、彼の指導で行いました。
問14) あなたは新しい人々と知り合うことにかけて非常に慎重ですね。あなたは世界に重要なミッションを伝える立場にあるのに、どうしてそのように隠遁した生活を送っているのですか。
ビリー・マイヤー氏
A) 私を殺害する企てはすでに13回もなされ、私が暗殺を恐れて引きこもっていると言い触らされていますが、もちろんそうではありません。
私が隠遁している理由は幾つかあります。
まず第一に、私は導師や教祖ではありません。
だから公に登場して信奉者を集めたり、自分を聖人のように見せかけたりする必要がないのです。
それに私は決して聖人などではありませんし。
第二に、私は熱狂的に賛美されたいとは思いません。というのも、私は何か特別の存在でもなければ、驚嘆され称賛されることに喜びを感じる人間でもないからです。私は動物園の見世物ではありませんから。
またジャーナリストからインタビューを受けることも重要とは思っていません。
彼らはたいていセンセーションをねらっているからです。
彼らは真実を際限なく歪めたりねじ曲げたりして、真実とはほど遠い通俗的な三文記事を書きなぐります。
あるいは彼らには、嘘や曲解によってすべてを汚してしまう傾向があります。
真実の教えを広めるのに必要なのは、導師でもなければ教祖でもありません。
聖人や、世間に派手に登場する人間も必要としません。
目立ちたがりや誇大妄想 それに虚栄心などもふさわしくありません。
さわしいのは謙虚さと、教えを広めるスタイルです。
つまり、信奉者や信者を集めることを目指すのではなく、本当に真実のみを求め、自らの主体性と意志によって学ぼうとする意欲のある人間だけが語りかけられていると感じることが必要であり、導師や教祖が彼らを支配するようなことがあってはならないのです。
そしてこのことは、これらの人間の一人ひとりがあらゆる点において自らに対し、その行為と行動に対し、そして人生そのものに対して十分に、しかも完全に自覚的に責任を負うことを要求します。
この場合、背後に宗教や教派の信仰が潜んでいてはなりません。それは信じることを要求するだけで、考え、発見し、そして自ら決断することを求めることはないのです。
ミッションを広め、果たすことの重要性は、各人が自由であり、この自由においてすべてのことについて自分自身で決定し、またそのようなものとして行動することを求めます。
自ら世間に登場し、命令を与えたり要求したりする導師や師や教祖などが上に立つことはありません。
人間はあらゆる点で自由でなければならず、またそのようなものとして人生のすべての事柄に対していかなる場合も自分自身で責任を負わなければなりません。
そこに想像上の神や、あるいは単なる導師や僧侶や教派信者が入り込んではなりません。
そのようにしてのみ人間は自立し、自分の人生を独力で乗り切ることができ、自らの責任を担うことができるのです。
しかしもし私が世間に公然と登場したならば、この責任を人間から奪うことになるでしょう。
というのも人間は、誰かが何らかの意味を持っていて、どのようなやり方であるかを問わず公に登場すると、すぐさまその者を持ち上げるという独特の性向を持っているからです。
続く