sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

乗り越えるべき壁・・・カルト宗教・救済教義・盲目的信仰8

人生と創造の会オリノです。

 

今このブログで書いている創造主論はわたしの考えです。

しかし、それは私が考えたものではありません。

ビリーマイヤー氏の著作を読み、その中で説かれる「霊の教え」、

「霊と創造の真理」をわたしが理解した形で書いているものであることを

ご理解いただきたい。

 

ここまで通読していただいた方にはお分かりになったでしょうが。

創造主、絶対者、大いなるすべて、大霊、神などとと呼ばれる根源的な存在の

有無によって宇宙・世界・人間の持つ意味は180度変わってしまいます。

しかもその有無、二通りの道の片方は真実なのです。

つまり人間は虚無か実在かどちらかであって、その両者の中間はありません。

 

ここでカール・ヤスパース(1883~1969)の「哲学とは何か」から引用します。

 

「科学的認識は個々の対象にかかわり、それを知ることはあらゆる人に不可欠の

ことではないのに対して、哲学において問題になるのは、人間そのものにかかわる

存在全体の問題であり、それが輝き出る時にはいかなる科学的認識にもまして

我々を感動させるような真理の問題なのである。」

「我々は年を取るにつれて、あたかも、因襲と臆見と隠蔽という牢獄に、

また自明のものと思い込んだものの牢獄に陥り、子供の捉われのない態度を

失ってゆくかのように思われる。」

「現代の哲学者は、神が存在するか否かという問題を避けて通ろうと

望んでいるように思われる。

彼らは神の存在を主張することもなければ否定もしない。

しかしいやしくも哲学する者であれば、この問題に関して答弁すべきである。

神の存在が疑われるとき哲学者は何らかの答えを与えねばならず、

さもなければ、その哲学者の哲学は、そもそも何ごとをも主張することのない

懐疑的哲学、つまり何に対しても肯定も否定もしない懐疑的哲学たることを

免れないことになる。

あるいはまたそのような哲学者は対象的に限定された知、

すなわち科学的認識におのれの問題を局限し、知ることのできないものに

ついては沈黙すべきであるという命題を立てることによって、

哲学することをやめることになるのである。」

 

以上

 

以前の記事で書いたヴィトゲンシュタインとは対極のような言葉です。

ヤスパースの哲学は実存主義とされていますが、キルケゴールとともに

有神論的な実存主義として知られています。

それに対し、同じ実存主義ニーチェハイデガーサルトルは根本が

虚無主義です。

 

さて、本題の3人の対話ですが、いよいよデリケートな部分に触れていく

ことになります。

信仰の問題を取り上げていきますが、どうしても否定的な論調になります。

その点をご承知おき下さい。

 

仮想宗教者B「たしかにあなたの言う創造主論に賛同するところも多いですが、

      わたしたちの信仰をどうお考えですか?」

 

オリノ   「ではあなた方の信仰とはどのようなものか、教えてください。」

 

次回に続く