sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

49項目の質問と回答6

 

 

今回のシリーズは日本語訳が上手くされていない箇所も見受けられますが、

それでも十分に読む価値があると思います。

特に27の愛については圧巻だ。

いわゆるニューエイジの人々が「ワンネス=一体性」というお題目をよく唱えるが、

その明解さを欠く、ぼやけた、はっきりしない概念が、普遍的愛=創造の愛として

明確に説明されている。

またそこから地球人が口にする愛の多くが、特に男女のそれは、一時の感情の昂ぶりと

欲求による情動であることがわかる。

 

24·個人は平和のために何ができますか?
Die Uhr schlägt eben Zwölf
Seite 127, Satz 1-4 und Seiten 228/229
平和とは単なる言葉ではなく…計り知れない価値を持った概念である。
しかし世界平和は小さなところから始まる。

自分の家やごく身近な周囲で「戦争」をしていたら地球上に平和を生み出す

ことは決してできない。

最初に身近な場所や自分自身の中で、それから友人、親戚、知人、そして

仕事や余暇で日々出会う人々との間で平和を生み出していかなければならない。

世界平和の努力は小さいところから始まり、それから次第に拡大していく必要がある。

このことは、世界情勢や低劣な出来事がどうであろうと、小さいところでの結び付きを

求める。


25,預言された破局を防ぐために何ができますか?
Stimme der Wassermannzeit
Nr. 52, Eine letze Chance
さて、善い意志のあるところには道もある。この道をビリーの地球外の友人は

最近極めてはっきり明確に示した。解決の標語は非常に簡潔な「平和瞑想」
である。

すべてが考えられる限り単純であり、金銭的な費用や、物質的な補助手段など

を要することなく誰でも実行できる。必要なのは少しばかりの時間と善い意志だけである。
プレアデス人の説明によれば、我々は直ちにいわゆる平和瞑想を始めることによって、

第三次世界大戦の勃発を数年遅らせ、その残忍さを緩和できる可能性がある。


26,時は切迫している!..今日果たせることを明日に延ばすことなかれ。

変化と改良のためにあなたの関与が必要です!


Die Uhr schlägt eben Zwölf
我々はすべての邪悪を直視し、あるがままの姿で認識しなければならない。

そしてあらゆる邪悪の根を直接つかんで根こそぎにするのだ。

しかしながらこれは、自分たちの子孫のためにも公正で健全で自由な世界、

正しく管理·統制された天国を創り出そうという、責任感のあるすべての人々の

積極的な支援と協力なしにはできない。
それゆえ、権力亡者や知ったかぶり屋、無責任者や物質主義者の狂気との

戦いにおいて君と君のすべての力と援助が必要なのだ。

彼らは自分たちの利潤欲と権力欲を満たすことしか眼中になく、世界や隣人の命

などどうでもいいのである。

あなたが生けるすべてのものに対していくばくかの義務感と責任を担おうとするなら、

あなたも我々の仲間である。

だからいつまでもためらわずに我々に合流し、我々と共にこの世界の狂気に対する

戦いに赴き、存続のためのこの戦いであなたの能力も考え得る限り、実行し得る

限り傾注するのだ。

あなたもまた必要とされており、この存続を賭けた戦いでなくてはならない

存在なのである。


27,愛とは何ですか?
Gesetz der Liebe
愛とは、自分が万物の中で、それゆえすべての存在者、すなわち動物相と植物相、

人間、種類を問わずあらゆる物質的および霊的生命体の中で、全宇宙の存立に

おいて、さらにはそれをも越えて共生·共存しているということの絶対的な確信である。
それゆえ本来の定義における愛は、次のことを意味する。
植物であるか、霊体であるか、動物であるか、惑星または星であるか、あるいは

人間であるかは全く問わず、あらゆる存在の中で、他の存在は自分自身の存在

の部分存在であることの絶対的な確信と感覚を抱きながら共生しているという

絶対的な確信を感じること。
愛とは、すべての生命は自分の生命の一部であることを絶対的に確信し、絶対的

に知り、絶対的に感じ、そして絶対的に把握することである。

なぜならば万物は一体となってあらゆる存在の絶対永遠の存在における

全我々形態をなし、愛を知り感受することにおいてのみ全実在存在として存在できる

からである。
それゆえ愛とは全宇宙、さらにはそれをも越えて存在するすべての生命体との全く

固有の共同性において、そしてまた自分の存在は他のすべての存在する生命形態

の部分存在であるとともに、他の生命形態の存在も自分自身の存在の部分であり、

全宇宙のすべての生命形態は真実そうであるがゆえに存在しているという絶対的な

英知において、絶対的に知り感じ取ること、絶対的に感じ共生することである。


Dekalog
Nachwort, Seite 135
愛は人間の心情の鼓動でなければならない。
なぜなら愛は平和、自由、知識そして英知への唯一の道だからである。

しかし創造に対する愛、すべての生命形態に対する愛を感じるとは、畏敬の念を

起こさせるすべてのものを敬い、これを承認しつつ義務を果たすことを意味する。


28,聖書で正しいのはどの部分ですか。昔の預言者の発言がないのはどうしてですか?
Ein offenes Wort
Seite 4, Satz 29-32 und Seite 219, Satz 1536~1538
聖書には人類の極めて古い歴史の一つが断片的に保存されている。

が、最も古く完全なものではなく残念なことに多くの誤まりや嘘や捏造が混入している。

旧約聖書(バイブル)に書かれている幾つかの点は、非常に慎重に選別して濾過する

ならば、今日でも神の真実の教えと見なすことができる。

聖書は幾多の改革や変革にもまれ、多くの邪説を含み、年代記編者、物書き、狂信者、

権力亡者などによって捏造されたにも関わらず、きわめて明瞭に認識できる根本的な

教えを保ち続けた。

それは唯一創造のみが万物の本当の創造であり、神はこの創造の人間的な被造物に

すぎないというものである。

新約聖書
幾つかの言葉や文は、本当にイマヌエルが説いた教えであり、妥当なものと見なすこと

ができる。
さて、キリスト教の聖書もユダヤ教のモーゼ五書(聖書を変造した写本であり、モーゼ五書

は見分けがつかないまでに偽造されたことが分かっている)も、その他多くのいわゆる

「聖なる書」も、初期の頃は(一部は現代でも)サンスクリットに由来する説話と類似の事柄

を語るすべを心得ていた 。

これは聖書の場合、ローマの「聖職」の決定により当該編本が「聖なる書」から削除される

まで、(例のごとく)正確には地球人が再び真理の探求を開始した時点であった。
こうして聖畵の最も古く重要な編本、すなわちエノク書が削除され、異端として弾劾された

が、それにもかかわらず(例のごとく)バチカン図書館に収蔵された…

 

続く