sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

今、ここに存在する自己をどう考えるのか。2

人生と創造の会オリノです。

 

今一度、自分を確認してみよう。

今ここに一人の人間として存在する自分を見て欲しい。

どのように感じ、どう見えるだろうか?

この世界に誕生後、年令という時間の中で紆余曲折を経て

成長・変化した自己がここにある。

この自分をどのように記憶し、考え、評価しているだろうか。

今の自分になるために通過してきた道程、過ぎ去った日々は

どのような思い出となっているだろうか。

 

「私のここまでの人生は喜びと幸せに満ち、私の容姿・能力・性格

すべてが完璧です。」

などと考えていられる人はいないだろう。

逆に多かれ少なかれ、多種多様な、百人百様の問題や困りごと、

コンプレックスを抱えて生きているはずだ。

人によっては運命の十字架のような不幸・不運を背負いながら

懸命に日々を生き抜いていることもあるからだ。

誰もが人生の苦汁を味わったとき、自分をみじめに感じて

こう思った記憶があるだろう。

 

なぜ、私は「A」に生まれたのか?

「A」でなくて「C」に生まれていれば・・・

 

なぜ、私は「B」なのだろうか?

あの時「D」ではなくて「E」をしていれば・・・

 

「A」には運命的・先天的なもの、受け入れるしかないものが入る。

それらは私たちが生まれた時にはすでに決まっていたこと、

あるいは物心がつくまでに決まっていたことです。

(時代・国・社会的経済的状況・地域・家庭・親・性別・容姿・

才能・身体機能など。)

 

そして「B」には意志的・後天的なもの、意志を持って選択されたもの、

または選択されなかったものが入ります。

自分が無知・愚かだったために犯した失敗や過ちの類や、不可抗力で

起きたことです。

 

「A」「B」は多くの場合はネガティブなものを想定しますが、

実際はネガティブなものだけでなくポジティブなものにも当てはまります。

また「A」「B」に分けましたが、中には微妙なこともあるし、

「B」「A」の影響を受けていること、つまり「A」「B」の原因と

なっていることも多いです。

しかし「B」は自ら選択した結果であるので、自業自得だと自分でも

理解しています。

それに対して、この「A」を私たちは「境遇」・「運、不運」・「生まれつき」・

「運否天賦」などと呼んでいます。

どのような形であれ、この「A」をどう考え、どう対処するかによって

幼少期の性格、成長後の人格に大きな影響を与えます。

この重要な「A」をここでは「生まれ持っての境遇」と呼ぶことにいたします。

 

この「生まれ持っての境遇」は全ての人で異なります。

とても良く似た境遇の人もいますが、細部は異なります。

一卵性双生児でも異なります。

私たちは自分がどうして「生まれ持っての境遇」の下に生まれたのかを

考えた時に、思いつくのは次のようなことだ。

普通の人なら、

「たまたま、偶然。」

「そうなのだから仕方ない。」

「選べるならそうしただろう。」

「そんなこと考えても無駄。」

 

信仰を持っている人なら、

「神の決めたこと。」

「天国に入り、永遠に幸福なるために生まれた。」

 

スピリチュアルな人なら、

「前世のカルマを清算し、悟り、解脱するため。」

「魂を磨くために生まれた。」

 

ニューエイジの人なら、

「もっとパワフルで喜びに満ちた自分になり、

地球の次元上昇を助けるために生まれた。」

などとなるだろう。

 

では「霊の教え」を学ぶ人は何と言うのか。

 

次回に続く