真の自己である霊と、私という人間17
人生と創造の会オリノです。
皆さんこんにちは。
そしてこんばんは。
連日のように猛暑日が続き、コロナの流行もあって大変な夏となっております。
昨年の夏も暑かったですが、それでも今年の夏がこんなことになるなんて、
誰も予想していなかったことです。
気温が35度を超えているのに、ほとんどの人がマスクを着用する日が来ようとはね。
さて、前回で「虚無主義=ニヒリズム」についての批判は終わりました。
今回からは「神」について考えていきましょう。
またまた、例のごとく、ややこしいことが出てきますので振り返りをしておきましょう。
~絶対者=神という思い込みを捨てよう~
その発端は「究極の二択」です。
(問題) なぜ、この宇宙には目に見えない法則(物理法則や論理法則)が
存在するようになったのか?
A 偶然
B 必然
なぜ宇宙が発生したのか?と言ってもほぼ同じです。
ここで重要なのは二つの選択肢です。
AでなければBであり、BでなければAになります。
そしてどちらかが正解であり、真実です。
また、宇宙が発生する(ビッグバン)前という特殊な状況を考えると
次のように変換できます。
A 偶然
➡全く意識が存在しない「無」から偶発的に発生した。
B 必然
➡霊的・意識的存在である「絶対者」が何らかの目的をもって創出した。
もっとシンプルにすれば
A 絶対者はいない。
B 絶対者は存在する。
となります。
前回まではニーチェさんを例にしてAの部分を検討してきたわけです。
次はBを考えるのですが、ここで多くの人が早とちりをしてしまいます。
安直に「絶対者」つまり「神」は存在するのだ!
と考えてしまうのですが、それも仕方ないでしょう。
「エホバ」とか「アッラー」とかいう名前で呼ばれる存在以外は知らないのですから。
ただ間違えてはいけないのは「絶対者」が存在するとしても、「神」がその「絶対者」
なのかどうかは冷静に検証しなくてはいけません。
「天地創造の神」ではあっても、「宇宙創造の神」とは聖書の中にも書かれて
いないのですから、「神=絶対者」の思い込みは捨て去るべきです。
また「絶対者」の存在がキリスト教の正しさを証明するものでもないのです。
これの逆をしてしまったのがニーチェさんです。
自ら虚無の泥沼に飛び込んでしまいました。
彼も安直に「神=絶対者」の思い込みをしてしまったのです。
とか偉そうなことを言えるのも、私が彼より百年後に生まれ「霊の教え」を
知ることができたおかげなのです。
すでにお察しのとおり、「神」は「絶対者」、つまり「創造」ではありません。
人間はそのような「仮象」に媚び諂い、崇拝してきましたが、「神」にそんな
価値も力もありません。
そのことを次回から説明していきましょう。
ではまた次回に。