sankabito’s blog

ビリー・マイヤー事件の真相、創造と霊の真理について。当ブログは人生と創造の会ブログのコピーです。

ビリー・マイヤー氏インタビュー(霊の教え編)4

 

 

連載中の記事は2004~2005年のフィグヤーパン通信17~21号から抜き出したものです。

フィグ・ランデス・グルッペ・ヤーパンhttp://jp.figu.org/

で誰でも閲覧・ダウンロードできます。

 

問5) 創造は私達人間そしてその他の生物においてどのような役割を果たしていますか。

 

ビリー・マイヤー氏

人間、その他のすべての生物にとって、創造は非常に重要な意味を持っています。

あらゆる生命形態はそれ自身の内に創造の微小部分を有しており、

それによって生物はおよそ初めて生きることができるのです。

自らの内にこの創造霊の微小部分を有していなければ、いかなる生命形態も

生きることができないでしょう。

というのは、この創造霊は本来の根本的な生命エネルギーだからです。

しかしこの生命エネルギーはまた創造自体の全エネルギーに

依存しています。

創造自体は微細なエネルギー形態、いわゆる宇宙の生命エネルギーを全宇宙に

拡散させます。

宇宙の生命エネルギーは創造霊の微小部分に受容され、それによってこれらの

微小部分が生きるのです。

したがって、この宇宙の生命エネルギーはすべての生命形態に宿っている創造霊

のあらゆる微小部分が生きるための、いわば創造的栄養と見なせます。

このような形でどんな生命形態も創造に依存していますが、だからといって、

例えば人間がどんな風にして生活を形成し、営み、生きなければならないといった

規則が創造に由来するということは全くありません。

創造は自らの法則と掟によって進化の目標とすべてが関係する大まかな条件を

設定するだけです。
そしてこの目標とは、人間は進化し、したがって霊および意識の面で可能な相対的完全

にまで高度に発達して、いつの日か創造自体の中に入り、これと一つになることです。

そうすることによって創造自体も進化するのです。


創造が何らかの生命形態に対して規則を設けることは決してなく、したがってすべての

生命形態はそれぞれの裁量で生き、振る舞うことができるのです。
しかし、すべての原因は特定の結果をもたらすという因果律に従い、

ある特定の生き方からはある特定の結果が生じるという法則と掟、

つまりガイドラインが存在します。

ですから、各々の生命形態はそれら自身が欲するように生きることができ、

そのことについて自分で決定するか、または何らかの仕方で法則と掟に適合する

というのが創造的自然なのです。

 

ある生命形態がその生活をどのように営み、形成し、生きるかに応じて、

そこから極めて特定の結果が生じますが、それに対して当の生命形態、

とりわけ人間はあらゆる点で自分で責任を負わなければならないのです。
創造的自然の法則と掟は、肯定と否定という二つの因子に基づいて構成されて

いるので、宇宙全体でもすべてはこの形式で秩序づけられています。

創造自体は、自然と呼ぶこともできますが、どのように生活を形成し、営み、

生きるべきかという規則を決して作りません。

これは生命形態の、したがってまたすべての人間の責任に委ねられています。

したがって各々の人間もまた、創造的自然の法則と掟を遵守してそれらが利益と

進歩をもたらすようにするか、またはそれらを犯して害悪を被るかを

自分で決定するのです。

つまり、創造は人間の何らかの行動に対していかなる責任も負わず、

すべて人間のみが常に自分で責任を負うのです。

この場合、この人間がどのように考え、感じ、案出するか、また何をなし、
企てるかは全く関係ありません。

 

続く